桂ハリマン覚書が日米開戦の原因説は、ただのこじつけでしょう。 日米関係が破局に至ったのは、近衛提唱の東亜秩序の思想を背景にした日独伊三国同盟であり対米戦を前提に実施された南部仏印進駐でした。 これらとハリマンとの協定廃棄に直接の因果関係はありません。また反日運動や排斥運動も、廃棄への反発から起こったことではなく、元々アメリカ政府が抑止していたのが重しがなくなっただけです。ハリマンのことなど一企業の辺境での出来事で、日米国家間の重い外交対立になったわけではありません。 日露戦争の原因は、正確にはロシアによる西・ローゼン協定違反による朝鮮進出、具体的には龍浦岩事件とその後の交渉拒絶であり、満州原因説は俗説です。 ロシアの朝鮮侵出が日英同盟第一条にある侵略行為に該当しました。同盟が満州からのロシアの駆逐ではなくこれ以上の南進阻止にあったのは、龍岩浦事件前後の伊藤、小村の言動だけでなく、児玉が参謀
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