小林 楠扶(こばやし くすお、1930年 - 1990年1月11日)は、日本のヤクザ、右翼活動家。暴力団・住吉連合会(後の住吉会)本部長、住吉一家 小林会初代会長、右翼団体・日本青年社初代会長。 帝京商業学校(後の帝京大学中学校高等学校)卒業[1]。 昭和36年(1961年)10月13日、東京都大田区雪谷で、右翼団体「楠皇道隊」を結成した[2]。 同年、楠皇道隊本部を東京都中央区銀座7-2-2に移した[2]。「銀座の黒豹」の異名をとった[3]。。 昭和44年(1969年)3月18日、楠皇道隊を発展的に解消させ、「日本青年社」を結成し、初代会長に就任した[2]。 同日、明治神宮で、290名が参加して、結成式を行い、その後、ホテルニューオータニの芙蓉の間で結成披露宴を開催した[2]。 平成2年(1990年)1月11日、死去した[2]。