南カフカース南部に位置するカラバフ(ロシア語版)は、古くからアゼルバイジャン人とアルメニア人による領土紛争の舞台となってきた。アルメニア人の側は、「カラバフが古代アルメニア王国の時代から数千年に渡るアルメニア文化(ロシア語版)の中心地である」と主張する[34]。一方のアゼルバイジャン人の側は「自らがカフカース・アルバニア人(アゼルバイジャン語版)の末裔であり、アルメニア人よりも古くにカフカース・アルバニア王国を形成していたカラバフ一帯の先住者である」と主張する[35]。 アゼルバイジャン人(水色)とアルメニア人(黄緑色)の分布。アゼルバイジャン人は、ナゴルノ・カラバフの南にあるイラン北西部側にも居住していることがわかる カラバフの中でも中部の山岳地帯(ナゴルノ・カラバフ)には特にアルメニア人が集中しており、1916年の時点でナゴルノ・カラバフのアルメニア人は総人口の約70パーセントまで達し
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