重慶会談[編集] 1945年8月に日本が降伏すると、中華民国は対外的に戦勝国かつ国際連合の常任理事国となった。しかし、日本という共通の敵を失ったことで国内では国民党と共産党が統一戦線を維持する意義も名目も消滅し、戦後構想の違いから内戦再発の不安が中国国民及び諸外国の間で募るようになった。その結果、蔣介石は国民政府の呉鼎昌の提案を受け入れ、毛沢東に対して重慶で国内の和平問題について討議すべく三度にわたって会談を呼びかけた。この呼びかけに応じた毛沢東と周恩来、王若飛は8月28日、アメリカのパトリック・ハーレー大使と共に延安から重慶を訪れ、共産党の代表として国民党の代表である王世杰、張治中、邵力子と会談を行った[4]。 同年8月30日重慶において「蔣介石・毛沢東巨頭会談(重慶会談)」が開かれた[5]。会議は43日にも及んだが、10月10日に「双十協定」としてまとめられ、内戦は一時的に回避された。