ミュリオケファロンの戦い(ミュリオケファロンのたたかい、ギリシア語: Μάχη του Μυριοκέφαλου トルコ語: Miryakefalon Savaşı)は、1176年9月17日にアナトリア中部のミュリオケファロン(Myriokephalon)で、コムネノス王朝東ローマ帝国とルーム・セルジューク朝との間で戦われた戦闘であり、ルーム・セルジューク朝が勝利をおさめた。これによりコムネノス王朝東ローマ帝国の衰退が決定的になり、その威信も著しく失墜した。 背景[編集] 11世紀末、マラズギルトの戦いに勝利したセルジューク朝はアナトリア西部へと勢力を伸ばし、東ローマ帝国のアナトリアの領土は地中海沿岸部が残るのみとなっていた。その後、十字軍、アレクシオス1世、ヨハネス2世の尽力によりアナトリア西部と湾岸部を取り戻したものの、ヨハネス2世の跡を継いだマヌエル1世はルーム・セルジューク朝と友好
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