1904年7月1日に安宅弥吉によって安宅商会として創業され、戦前から戦後にかけて官営八幡製鐵所の指定問屋4社(三井物産、三菱商事、岩井商店、安宅産業)の1社となるなど、十大総合商社の一角として最大売上高2兆6千億円を誇る大企業であった。元々は「堅実」の社風を特色としていたが、同業他社との売上競争の中で原油取引など新規事業にリスクを無視して進出するようになり、最終的にはそれが破綻の原因となった。 安宅弥吉は1895年高等商業学校(現・一橋大学)卒業後、いったん日本海陸保険(現・損害保険ジャパン)に入社したものの、すぐに日下部商店(個人商店)へ入店、香港支店(現地では日森(ヤッシャム)洋行という商号を使用していた)支店長として赴任した。当初は香港からの米の輸入と大連向けの木材・雑貨輸出程度だった支店の取扱商品を、砂糖、鉛、亜鉛、石炭、棉花、帆布、塗料など多数の品目に広げた。特に砂糖は、独自で有