黄巾の乱(こうきんのらん、簡体字: 黄巾之乱; 繁体字: 黃巾之亂; 拼音: Huángjīn zhī luàn)は、後漢末期の184年(中平元年)に中国において、太平道の信者が教祖の張角を指導者として起こした組織的な農民反乱である[1]。 目印として黄巾と呼ばれる黄色い頭巾を頭に巻いたことからこの名がついた。現代中国では黄巾起義ともいい、小説『三国志演義』では反乱軍を黄巾賊と呼んでいる。 この反乱は後漢の衰退を招き、劉備の蜀、曹操の魏、孫権の呉が鼎立した三国時代に移る一つの契機となった。 蜂起[編集] 冀州鉅鹿郡の張角は『太平清領書』に基づく道教的な悔過による治病を行った。伝えられるところでは山中で薬草を採ってきたときに、南華老仙に出会い、『済民要術』という天書を授かり、妖術を覚え治病を行い太平道を広めた[1]。 それをもって大衆の信心を掌握し、政治色を濃くしていった太平道は、数十万の信
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