1999年、父・弘治の東京都知事選挙[注 2]への立候補を契機にNHKを退職。2000年の第42回衆議院議員総選挙で父が当選して国政に復帰したため、父の秘書を務める。 2001年6月、「東京12区構想」を掲げる無所属政策集団「1/2の会」を旗揚げ。同年の東京都議会議員選挙に江東区選挙区から出馬し、初当選する。その後、民主党に入党した。 2005年の東京都議会議員選挙に民主党公認で出馬して再選された。同年8月、都議会民主党政調会長に就任(-2006年2月)。 2008年2月9日、首都高速道路で酒気帯び運転による自損事故を起こし[2]、2月12日に都議会議員を辞職、民主党を離党した[3][4][5]。 2010年、衆議院本会議にて 2009年8月、みんなの党に入党。同月の第45回衆議院議員総選挙にみんなの党公認で東京15区から立候補し、小選挙区では、民主党の東祥三、自由民主党の木村勉の後塵を拝