戦後文学時史上で特異な価値を占める作家、埴谷雄高の大小説『死霊』は未完のまま終っている。その原因の一つは、彼が小説に盛り込む筈であり、体験的に得た政治論的アイディアを他の評論文に書き散らしてしまったことにある。それ故、埴谷雄高の仕事は『死霊』で展開された宇宙論的・形而上学的存在論とレーニン=スターリン批判を中心とした政治論とに二分化されしばしば評価される。しかし、『死霊』はその政治論的アイディアと共に本来一つの仕事として統合されるべきであった。私達は実現はされなかったけれども正統であった筈の作品を彼の残したテクストをもとに再構想することができるはずだ。本稿ではその足がかりとなる埴谷雄高の組織論を考察する。 【埴谷雄高略年譜】 1909(明治42)年 台湾・新竹に生れる。本名般若豊。 1923(大正12)年 東京、板橋に移転。 1928(昭和3)年 日本大学予科入学。 1931(昭和6)年
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