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現代史とラテンアメリカに関するnagaichiのブックマーク (14)

  • 自治領か、植民地のままか 自問するプエルトリコ:過去から続く米国の今

    自治領か、植民地か? プエルトリコは歴史を問い直し、未来を案じる 朽ちかけた戦車が残るフラメンコ・ビーチ。プエルトリコにある、この砂浜は、世界で十指に入るほど素晴らしいといわれている。私はプエルトリコ人として、そうした場所を写真に撮ることで、あることを伝えたいと考えてきた。美しさと楽しさに満ちた観光地にも、複雑な歴史があるのだと。そして、それを理解することは、来訪者にとっても、地元の住民にとっても大切なことなのだと。 ロイサの町で行われた文化イベントで、祖先をたたえるために女装した、アーティストのカリエル・アルヘニス・ディアス・マイソネット。この町はアフリカ人が初めてプエルトリコに連れてこられた16世紀に開かれた。多くのプエルトリコ人は近年、肌の色にまつわる偏見を改め、アフリカや先住民の伝統を積極的に受け入れるようになっている。(PHOTOGRAPH BY CHRISTOPHER GREG

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  • 軍政時代以降最大のデモ  ポップ・カルチャー上でも知っておいたほうがいいチリの悲しき歴史|THE MAINSTREAM(沢田太陽)

    どうも。 チリでのデモがすごいことになってますね。これ、先週の金曜に首都サンチアゴで行われたデモですけど、これで120万人くらい参加したんですよね。この市の人口の5分の1ですって!いかに事態が国民的にかなり深刻なことかがわかるでしょう。 民衆の怒りが止まらずに、いたるところで護衛の軍隊と肉体的な暴力の応酬もあれば、銀行のATMに火をつけたり、スーパーが略奪に遭ったりなどの行為も見られたりします。まあ、暴力は決して肯定されることではないのですが、軍隊側の痛めつけ方もかなり問題視されていて、政府側の方が国連から目をつけられたりもしています。 すごいなあ、と個人的に思ったのはまずこれですね。 これ、当に世界の名画を見ているかのようですよね。なんか、フランスの7月革命の絵を描いたドラクロワの絵画を思い出させます。まず、この人のタワーができてること自体が不思議だし、この瞬間を最高の角度と、背景の炎

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  • 近現代ラテン・アメリカの国家間戦争(後編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    アメリカの影が濃い20世紀のラテン・アメリカ戦争 近現代のラテン・アメリカの国家間戦争のまとめの後編です。 19世紀の戦争は、スペインとポルトガルの植民地時代に種がまかれたものが独立後にも受け継がれ、時の有力者や党の争いと混じって先鋭化し衝突に至ったケースが目立ちます。前編はこちら。 今回は主に20世紀の戦争をまとめていきます。 9. 太平洋戦争(ペルー&ボリビア vs チリ) 軍事強国チリがボリビアとペルーを圧倒した戦争 チリとボリビアの国境近くにあるアントファガスタ県は、硝石や銅などの鉱物が大量に眠る地域で、長年両国間の係争地でした。1866年に国境協定が結ばれ、南緯24度を国境として北をボリビア、南をチリが折半すると決められましたが、チリ・イギリス系の採掘会社がこの地域に進出し、ボリビアは警戒感を強めました。 一方でペルーのタクナ県、アリカ県、タラパカ県の硝石地帯にもチリ・イギリス

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  • 没後50年、21世紀中南米におけるチェ・ゲバラ/森口舞 - SYNODOS

    今年で、チェ・ゲバラことエルネスト・ゲバラの没後50年である。今なお、ゲバラに関する新しい書籍が出版され、ベレー帽をかぶった有名な彼の顔がプリントされたTシャツやステッカーが世界中で売られ、また先ごろは、ゲバラと、彼と共に革命に殉じた一人の日系人青年をテーマとした映画が日とキューバ合作で製作されてもいる。多くの人々にとってゲバラは、今なお色褪せることのない英雄であるようだ。改めて、39歳の若さでこの世を去ったチェ・ゲバラの人生を振り返り、現在の中南米における彼の存在をみてみたい。 筆者撮影 まずは、ゲバラの人生をたどり、彼が何者であるのかを概観しよう。ここでは詳細に述べる余裕はないが、日語で読める伝記も充実しているため、末尾の文献リストをご参照いただきたい。 キューバ革命のゲリラ指導者というイメージが最も強いであろうチェ・ゲバラだが、キューバ生まれでもキューバ人の子でもない。1928年

    没後50年、21世紀中南米におけるチェ・ゲバラ/森口舞 - SYNODOS
  • 【特集】チェ・ゲバラ没後50年

    【10月8日 AFPBB News】キューバ革命の英雄、エルネスト・チェ・ゲバラ(Ernesto Che Guevara)が、1967年にボリビアで米中央情報局(CIA)の訓練を受けた軍に処刑され、世界に衝撃が走ってから9日で半世紀を迎える。キューバやボリビアでは来週、没後50年の式典が予定されている。(c)AFPBB News

    【特集】チェ・ゲバラ没後50年
  • パナマのノリエガ元将軍が死去 80年代に軍事独裁政権 | NHKニュース

    ノリエガ元将軍は、1989年にアメリカ軍による侵攻で身柄を拘束され、アメリカで麻薬取引などの罪により、およそ20年にわたって刑に服しました。その後も、フランスで麻薬密輸関連の資金洗浄、いわゆるマネーロンダリングの罪で有罪判決を受け、収監されました。 さらに母国パナマでも対立する政治家の殺人などに関与したとして有罪判決を受け、2011年、およそ22年ぶりに送還され、収監されていましたが、ことしに入って病気の治療のため、入院していたということです。

  • チリの「奴隷制」コミューン、独が文書の機密指定解除 元ナチス党員ら設立

    チリのパラル近郊にあったコミューン「コロニア・ディグニダ」に最初に入植したドイツ移民らの写真(2016年1月20日撮影、資料写真)。(c)AFP/Claudio Reyes 【4月27日 AFP】ドイツのフランクワルター・シュタインマイヤー(Frank-Walter Steinmeier)外相は26日、ナチス・ドイツ(Nazi)の党員だった小児愛者の男がチリで運営していたコミューンに関する文書の機密指定を解除すると発表した。このコミューンでは長年虐待が行われていたほか、軍事政権の拷問施設としても使われていたとされ、外相はドイツ政府が虐待防止などの努力を怠ったと認めた。 文書の機密指定が解除されるのは、チリの首都サンティアゴ(Santiago)から南に約350キロ離れた僻地にあったドイツ移民のコミューン「コロニア・ディグニダ(尊厳のコロニー、Colonia Dignidad)」。元ナチス党員

    チリの「奴隷制」コミューン、独が文書の機密指定解除 元ナチス党員ら設立
  • よみがえるクーデターの悪夢、チリの路上に戦闘機の「影」

    チリの首都サンティアゴ(Santiago)にある大統領府、モネダ宮殿(La Moneda)そばの道路上に出現したジェット戦闘機ホーカーハンターの影をかたどった絵(2013年9月8日撮影)。(c)AFP/Claudio SANTANA 【9月9日 AFP】チリの首都サンティアゴ(Santiago)にある大統領府、モネダ宮殿(La Moneda)そばの道路上に、ジェット戦闘機ホーカーハンターの影をかたどった絵が出現した。「都市への介入」と呼ばれる、創作物を都市空間に配置して社会的なメッセージを浮かび上がらせる手法を用いたもので、サルバドル・アジェンデ(Salvador Allende)大統領を追放し、アウグスト・ピノチェト(Augusto Pinochet)陸軍司令官が政権を獲得する道を開いた1973年の軍事クーデターから、11日で40年を迎えるにあたって制作された。(c)AFP

    よみがえるクーデターの悪夢、チリの路上に戦闘機の「影」
  • 島をめぐる争い '82 - リアリズムと防衛を学ぶ

    両国が領有権を争っている島へ、一方の市民が不法に上陸しました。 これは、30年前のおはなし。 1982年、南太西洋の島々の領有権をめぐり、イギリスとアルゼンチンが戦争をしました。フォークランド紛争と呼ばれています。 始まりは民間市民の上陸でした。その背景はアルゼンチンの経済が不調で、政権が危うかったこと。そこで、歴史的な経緯から係争中だったフォークランド諸島がクローズアップされました。国民の目をそらすためです。 アルゼンチンの民衆は、政府がやらないなら自分たちが島を取り返すんだと盛り上がります。義勇軍のような気分で、島に不法上陸したり、運動が過熱していきました。 それが政府の選択肢をせばめ、やがて戦争になりました。 その島には名前が2つ 嵐の前の不景気 断たれた退路 あちら側、こちら側 正しさは手段に過ぎない 賽は投げられた 関連記事 その島には名前が2つ その島々には2つの名前があります

    島をめぐる争い '82 - リアリズムと防衛を学ぶ
  • グアテマラ:「無知を利用」アメリカ人体実験の兵士が証言 - 毎日jp(毎日新聞)

    「人体実験のモルモットにされた」と訴える元兵士のフェデリコ・ラモスさん(右)。長男ベンハミン・ラモスさん(左)も感染の可能性がある=國枝すみれ撮影 1940年代後半に米政府公衆衛生局の医師らによって故意に梅毒や淋病(りんびょう)に感染させられた中米グアテマラの元兵士らが、毎日新聞の取材に「風邪の注射だと思った」「無知を利用され、モルモットにされた」と人体実験の実態を証言した。実験は第二次大戦で米兵に急増した性病のまん延を防ぐため、米国の強い影響下にあったグアテマラで、開発されたばかりの抗生物質ペニシリンの効能を試すのが目的だった。オバマ米大統領が10年秋に謝罪し、両国政府は「生存被害者」と認定された6人の賠償問題などの解決を目指し、外交交渉を開始する見通しだが、非認定被害者が米政府に賠償を請求する動きも出始めている。【エスカレラ(グアテマラ中部)で國枝すみれ】 グアテマラ中部アカサグアスト

  • 「計画都市」ブラジルの首都ブラジリアの建設時、1950年代のモノクロ写真14枚

    当時ブラジルの首都であったリオデジャネイロから、国の発展等を目的に1960年に遷都されたブラジリアは、何も無く荒涼とした高原に一からデザインされた「計画都市」でした。当時のブラジルにとっては莫大な費用をつぎ込み建設されたため、国家的な財政難を引き起こしたと言われるほどの規模でしたが、たしかにこの写真を見ると納得できます。 都市計画家ルシオ・コスタ氏がブラジリアの都市設計を行い、国民会議議事堂や外務省、大聖堂などの主要建築物の設計を行ったのはブラジルの建築家オスカー・ニーマイヤー氏。 建設中の国民会議議事堂 また、街が建設され30年程度の新興都市ですが、文化遺産として1987年に世界遺産に登録されています。 Googleマップでブラジリアを見ると飛行機型をした街並みや広大な人工湖パラノア湖などが確認できます。 大きな地図で見る これらの写真はフランスの写真家Marcel Gautherot氏

    「計画都市」ブラジルの首都ブラジリアの建設時、1950年代のモノクロ写真14枚
  • asahi.com(朝日新聞社):チェ・ゲバラの未公表日記 キューバ革命の闘争記す - 国際

    出版された「ある戦士の日記」  キューバ革命の伝説的な英雄チェ・ゲバラの生誕83年を記念し、ゲバラが革命で勝利するまでキューバでゲリラとして戦った際に記していた未公表の日記がゲバラの誕生日の14日、同国で出版された。題名は、「ある戦士の日記」。約300ページで、これまでゲバラの著書を出版してきたオーストラリアの出版社が出版した。  の内容は、1956年12月2日、ヨット「グランマ号」でフィデル・カストロ前国家評議会議長と共にキューバに上陸後、東部山岳部のシエラ・マエストラで戦い、革命の成功を決定的にした中部の町サンタ・クララまでの闘いの記録だ。  ゲバラのアレイダ・マルチさんが所長を務める「チェ・ゲバラ研究センター」に保存されていた手帳数冊を公表。手帳は一部が紛失しているが、フィデル氏が、最近出版したシエラ・マエストラについてので、この欠けた部分を記述しているため、センターはこのまま

  • 平和に生きる権利 - 過ぎ去ろうとしない過去

    「4.10高円寺 原発やめろデモ」に行ってきた。 15000人ものデモに参加するのは初めてで、とにかくその熱気の凄さに圧倒された。 この動画の冒頭で流れている曲は、その他の多くの動画においても象徴的な取り上げ方をされており、ある意味で4.10デモを代表する曲となっている。 この曲は、デモの前段集会で演奏され、またデモの途中やゴール地点でも繰り返し演奏されていたと思う。 曲のタイトルは、チリのフォルクローレ・シンガーであるビクトル・ハラの代表曲のひとつ「平和に生きる権利 (El derecho de vivir en paz)」。このデモに参加した人たちの多くにとってみればかなりメジャーな曲であると思うが、日において一般的に知られているかどうかは疑わしい。 で、ぼくが紹介するのもおこがましいのだが、この曲の背景を共有することは、このデモが何であったのかを共有するために必要なことだと思う。ま

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