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現代史と文学に関するnagaichiのブックマーク (9)

  • 大江健三郎詳細年譜 - jun-jun1965の日記

    1850年 曾祖父・八三郎生まれる。 1855年(安政2)内ノ子騒動 1866年(慶應2)奥福騒動 1894年(明治27)父・好太郎生まれる。祖母はフデ。 1902年(明治35)母・小石生まれる。 1914年(大正3)20歳の父と12歳の母が結婚。 1919年(大正8)祖父この頃死ぬ。数え五十歳。 1923年( 12) 姉・一生まれる。 1924年4月24日、好太郎、明智新六らと大瀬革進会を結成、総選挙で窪田文三を応援と決定する。(史料愛媛労働運動史4巻、124p、愛媛新報) 1929年(昭和4)長兄・昭太郎生まれる。 ? 次兄・清信生まれる。 1933年、姉・重子が生まれる。 5月15日、伊丹十三(池内義弘)生まれる。 1935年1月31日 愛媛県喜多郡大瀬村に生まれる。父は大江好太郎、母は小石。長兄・昭太郎(燃料商、歌人)、次兄・清信。姉二人、弟・征四郎、妹一人。父は製紙原料商で、ミツ

    大江健三郎詳細年譜 - jun-jun1965の日記
  • 「これぞ事件」横溝正史の書簡240通発見 「悪魔が来りて笛を吹く」難航する様子も | 毎日新聞

    横溝から乾に宛てられた書簡=熊市中央区のくまもと文学・歴史館で2020年9月3日午後2時28分、上村里花撮影 金田一耕助シリーズなどで知られる推理作家、横溝正史(よこみぞせいし)(1902~81年)が親交の深かった熊県出身の作家、乾(いぬい)信一郎(06~2000年)に宛てた書簡240通が見つかった。乾の没後、遺族から寄贈を受けた熊市の「くまもと文学・歴史館」が遺品の中から発見した。専門家は「横溝の書簡はほとんど所在が確認されておらず、その中で240通もの書簡が見つかったこと自体が事件だ」と話している。 今回発見されたのは、戦後すぐの48年から、横溝が亡くなる直前の79年まで約30年間にわたる書簡で、多い時には年間33通のやりとりがある。同館によると、内容はまだ調査中だが、横溝が「悪魔が来りて笛を吹く」執筆中になかなか筆が進まず、しんぎんする様子の報告や、自らの複雑な出自に触れたもの

    「これぞ事件」横溝正史の書簡240通発見 「悪魔が来りて笛を吹く」難航する様子も | 毎日新聞
  • 吐き気、あぜん、不道徳……ノーベル文学賞の選考が猛烈に批判された理由 | 文春オンライン

    2年分まとめてという、異例の発表となった今年のノーベル文学賞。昨年は内輪の性暴力スキャンダルにより発表を見送ったためで、今年は権威ある賞の名誉回復を期したが、またも激しい非難を浴びている。 原因は、今年の受賞者にオーストリアの作家、ペーター・ハントケ氏(76)を選んだことだ。 選考理由についてスウェーデン・アカデミーは「人間の経験の見過ごされがちな部分や特異な面を、巧みな言葉遣いで探求した」と説明。発表を受けて日のメディアも「ドイツ語圏の最もすぐれた作家」「既存の言葉や制度に闘いを挑んでいる」などと、好意的な紹介にほぼ終始した。 だが欧米では、ハントケ氏の“ある側面”を厳しく問う論調が目立つ。旧ユーゴスラビア内戦でイスラム系住民7000人以上が殺害された「スレブレニツァの虐殺」(1995年)の否定論者としての顔だ。 ペーター・ハントケ氏は「勇気ある決断だ」とコメント 英紙ガーディアンなど

    吐き気、あぜん、不道徳……ノーベル文学賞の選考が猛烈に批判された理由 | 文春オンライン
  • News Up ドナルド・キーンさんの秘めたメッセージ | NHKニュース

    「地震や津波、原発事故があっても日人が落ち着いていたことに感心しました。日人が好きです。日人として死にたい」 そう言って、日人になった日文学の研究者、ドナルド・キーンさんには伝えたいことがありました。生涯にわたって日を愛したキーンさんの秘めたメッセージです。 (科学文化部記者 籔内潤也) 2019年3月29日、記者の私はアメリカ ニューヨークにあるコロンビア大学の図書館にいました。そのとき、ドナルド・キーンさんが亡くなってから1か月余り、キーンさんが16歳で入学して以降、4分の3世紀にわたって関わり続けた場所で、キーンさんゆかりの日文学の翻訳賞の受賞式が開かれていたのです。

    News Up ドナルド・キーンさんの秘めたメッセージ | NHKニュース
    nagaichi
    nagaichi 2019/10/01
    「私が懸念しているのは、日本人は私がいかに日本を愛しているかを語ったときしか、耳を傾けてくれないことだ」
  • [インタビュー]「日本語で朝鮮を書くことができるということを証明したかった」

    第1回李浩哲統一路文学賞受賞者の金石範氏 「朝鮮を卑下した川端康成に怒り」 18日の懇談会で「朝鮮籍」に関する考えなど述べ 「日のノーベル文学賞受賞作家の川端康成がどこかで『朝鮮をテーマにした文学は普遍性がない』と言ったことがあります。その言葉が、若い私には骨身にしみて迫ってきました。日文学は上位文学で在日朝鮮人文学は下位文学という、帝国主義的な発言でした。私の一生は、想像力を武器にして、日語で朝鮮を書くことができるということを証明してきた過程でした」 済州4・3抗争を描いた大河小説『火山島』で第1回李浩哲統一路文学賞を受賞した在日同胞の作家・金石範氏(<キム・ソクポム>93・写真)は、このように語った。18日昼、ソウル恩平区(ウンピョング)のある飲店で記者団と会った彼は、『火山島』の執筆過程と「朝鮮籍」にこだわる理由、ろうそく革命後の韓国社会と南北関係などについて、率直かつ情熱的

    [インタビュー]「日本語で朝鮮を書くことができるということを証明したかった」
  • 20世紀に分断されたモンゴル文学の行方 国境を越えてお互いが刺激し合えるようになれるか | JBpress (ジェイビープレス)

    総人口1000万に満たないモンゴル系諸語の話者に向けられた文学は、その規模の小ささや国や地域で分断された歴史から、日文学では想像できないような特徴を持つ。 今回はモンゴル諸族の文学についての現状、この会議に参加しての印象、雑感を述べてみたいと思う。 今回行われた会議はモンゴル国だけでなく、内モンゴルや、ロシアのブリヤート人(そして日人)も参加している。ということからすれば、国境を越えたモンゴル民族の文学を対象にしているように見える。 しかし、上記会議での発表に見える文学の時代区分に関する議論などを見ると、内モンゴルの文学史では文化大革命に関する言及があり、つまり、中国の文学史とは切り離せず、ブリヤートに関しては、ロシア文学の時代区分に縛られ、独立しているモンゴル国の文学の時代区分とは一致しないものになっている。 つまるところ、20世紀の文学の歴史は国境を越えず、それぞれの国家史に回収さ

    20世紀に分断されたモンゴル文学の行方 国境を越えてお互いが刺激し合えるようになれるか | JBpress (ジェイビープレス)
  • 本の記事 : 「風流夢譚」、電子化で解禁 半世紀前、テロ誘発した問題作 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト

    テロ事件(嶋中事件)のあと記者会見に現れた深沢七郎。「私が一番の責任者だから……」と語って涙を流した=1961年2月、東京 深沢七郎(1914~87)の小説「風流夢譚(むたん)」――半世紀前に月刊誌で発表されたがテロ事件の引き金となり、作者が書籍化を封印した問題作だ。それが今、電子書籍の“単行”として入手可能になっている。 ■発行者「現代の状況に重ねられる」 電子書籍『風流夢譚』を発行したのは志木電子書籍の京谷六二(きょうやむに)代表(51)。一昨年11月の刊行後、口コミを中心に、月に30部ほどのペースで売れ続けているという。 月刊誌「中央公論」1960年12月号に、風流夢譚は掲載された。主人公は時間の揺らぐ奇怪な「夢」の中で「革命」に遭遇し、「天皇」や「皇太子」らが「処刑」された情景を見る。その身体からはなぜか「金属性の音」が響き、やがて「辞世の御製(歌)」をめぐる滑稽な解釈談義が始ま

    本の記事 : 「風流夢譚」、電子化で解禁 半世紀前、テロ誘発した問題作 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
  • 江藤淳の岳父 - jun-jun1965の日記

    『川端康成伝』(中央公論新社)を書いていて、江藤淳がかなり川端を嫌っていたことを知った。同じ鎌倉に住んでいて、江藤は先輩への礼儀として著書が出ると送っていたが、川端は筆まめな人だから、そのたびに礼状をよこしたが、江藤はいっぺんも返事などを書かなかったという。『犬と私』(一九六六)を送った際、やはり礼状が来て、川端も長く犬を飼っていたので、先日十七歳になる犬が死んで、川端家では三十七、八年ぶりに犬が一匹もいなくなったとあった。江藤は、『文學界』に載った川端追悼文で、その手紙は表装して飾ってあるが、それは川端の手紙だからではなく、犬が懐かしいからだとわざわざ書いている。それは川端追悼特集の巻頭に来た長めのものだが、そこで江藤は、川端批判をしているのである。江藤はそこで、川端の文学は高度大衆社会の文学で、谷崎や志賀、荷風の貴族的な文学とは違っていると書いている。 一昨年死去した、川端研究の代表格

    江藤淳の岳父 - jun-jun1965の日記
  • 慶応2年から平成27年までのベストセラーをリストにしてみた 読書猿Classic: between / beyond readers

    我々の時間についての遠近感は、時としてとんでもなく歪むが、それに気付く機会があまりない。  だから、何か一つの事項について年表をつくると、背筋が伸びるかのように、縮んでいた時間感覚を修正できる。  自分の経験だと、自分が生まれる前の、近現代あたりが、かなりアバウトにいっしょくたにされていることが多い。サルトルの『嘔吐』がベストセラーになるのはもっとずっと後のように思っていたが、実際は1946年である。  これは周りに質問してみるといい。世代によっては「70年代あたり」に「サルトルがブームだった」となってたりするので、自分と違う世代の人と質問し合うとおもしろい。  ベストセラーの悪口をいうにしても、ファクトを整理しといた方がいいと思って作った私物くさいリストであるが、いろいろツッコミどころや「発見」のしどころがあると思うので公開してみる。  現在に近づくほど、これまた私見だが、ベストセラーと

    慶応2年から平成27年までのベストセラーをリストにしてみた 読書猿Classic: between / beyond readers
    nagaichi
    nagaichi 2009/11/21
    昭和の末年あたりのベストセラーが非常に懐かしい感じ。自分の物心ついたのがどのへんか分かる。
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