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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (13)

  • 微温化され中産階級向きにされる大江健三郎 - jun-jun1965の日記

    9月13日の昼過ぎ、今日都内のホテルで、大江健三郎のお別れの会が開かれたというニュースをX上で見た時、あっ私は呼ばれなかったんだという悲哀が突き上げてきた。衝撃を受けつつあちこち調べてみると、大江についてのを書いた榎正樹は呼ばれたが行かなかった、高原到も呼ばれたが仕事があっていけなかったとかポストしており、かなり幅広く呼ばれたらしく、もしや蓮實重彦も呼ばれなかったのではと思ったが呼ばれていたようだし、私がパージされたのは明白で、私は衝撃のため二日ほど仕事が手につかなかった。 そこで私は「眠れる森の美女」の舞踏会に呼ばれなかった魔女のごとくタタリ神となって以後は語るが、近年、大江健三郎は中産階級向け、お茶の間向け、テレビ向けに微温化され、デオドラント化されている。スピーチしたのは黒柳徹子、山内久明、朝吹真理子というあたりがすでに微温的ではないか。 そもそも私が中学3年の時『万延元年のフッ

    微温化され中産階級向きにされる大江健三郎 - jun-jun1965の日記
  • 大江健三郎詳細年譜 - jun-jun1965の日記

    1850年 曾祖父・八三郎生まれる。 1855年(安政2)内ノ子騒動 1866年(慶應2)奥福騒動 1894年(明治27)父・好太郎生まれる。祖母はフデ。 1902年(明治35)母・小石生まれる。 1914年(大正3)20歳の父と12歳の母が結婚。 1919年(大正8)祖父この頃死ぬ。数え五十歳。 1923年( 12) 姉・一生まれる。 1924年4月24日、好太郎、明智新六らと大瀬革進会を結成、総選挙で窪田文三を応援と決定する。(史料愛媛労働運動史4巻、124p、愛媛新報) 1929年(昭和4)長兄・昭太郎生まれる。 ? 次兄・清信生まれる。 1933年、姉・重子が生まれる。 5月15日、伊丹十三(池内義弘)生まれる。 1935年1月31日 愛媛県喜多郡大瀬村に生まれる。父は大江好太郎、母は小石。長兄・昭太郎(燃料商、歌人)、次兄・清信。姉二人、弟・征四郎、妹一人。父は製紙原料商で、ミツ

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  • 「大江健三郎がいた日本」の私     小谷野敦(作家・比較文学者) - jun-jun1965の日記

    (時事通信配信) 大江健三郎氏が亡くなられた。かつて谷崎潤一郎が死んだ時、三島由紀夫は、「谷崎朝時代」が終わったと評したが、私には、その少し前から始まっていた「大江朝時代」が今終わったと言いたいところである。大江氏は、東大五月祭賞を受賞し、「東京大学新聞」に発表された「奇妙な仕事」を、文芸評論家の平野謙が文芸時評で取り上げることによって、一躍有望な新人としてデビューし、ほどなく「飼育」で芥川賞を受賞したが、私には「奇妙な仕事」こそが初期大江において最も斬新な作品だと感じられる。当時、東大仏文科に在学中で、卒業とともにいきなり多忙な人気作家生活に入った大江氏には、苦しい時期が断続的に襲ってきた。高校時代からの年長の親友だった伊丹十三の妹と結婚し、精神的な安定をみたのもつかの間、浅沼稲次郎暗殺を題材にした「政治少年死す」を発表して右翼の脅迫に遭い、さらに脳に障碍のある男児・光が生まれ、彼ととも

    「大江健三郎がいた日本」の私     小谷野敦(作家・比較文学者) - jun-jun1965の日記
  • 作家の長者番付 - jun-jun1965の日記

    新聞記事から、作家の長者番付の変遷を調べてみたが、2005年以降、発表されなくなったので、今どうなっているか分からないのは不便だ。死んだら除かれるから西村京太郎ではないだろうが、今は一位は誰なんだろう。〇は初登場。 1965 1,山岡荘八、2,松清張、3,源氏鶏太、4,石坂洋次郎、5,山田風太郎、6,柴田錬三郎、7,川口松太郎、8,水上勉、9,井上靖、10、石原慎太郎、11、司馬遼太郎 1966 1,山岡、2,源氏、3,松、4,谷崎潤一郎、5,川口松太郎、6,柴田、7,司馬 1967 1,松、2,源氏、3,石坂、4,山岡、5,柴田、6,井上、7,〇黒岩重吾、8,石原慎太郎、9,司馬、10、大久保康雄 1968 1,松 2,司馬 3,源氏 4,石坂、5,〇梶山季之 6,谷崎松子、7,柴田錬三郎、8,井上靖、9,黒岩、10,山岡 1969 1,司馬、2,松、3,梶山、4,〇佐賀潜、5

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  • 「平家物語」と勧善懲悪の謎(最終回) - jun-jun1965の日記

    前に出た大塚ひかりには『男は美人の嘘が好き :ひかりと影の平家物語』(一九九九)という著作がある。大塚は、『源氏物語』や『古事記』については鋭い議論を繰り出すが、この『平家』論はあまり鋭くない。女性論を中心としており、文庫化(二〇一二)された際には『女嫌いの平家物語』と改題された。『平家』にはあまり女の活躍がない。木曽義仲の愛妾とされる巴は、出てはくるがちらりとだけで、冒頭の祇王・祇女、仏御前のほかに、印象に残るのは小宰相くらいで、清盛の孫の通盛に恋われてそのとなり、湊川で通盛が戦死したと聞いて泣き伏し、一ノ谷で身投げして死んでしまう。 そもそも通盛のとなる経緯が、通盛が口説いてもなびかないので、主人の上西門院が脅すようにして通盛のほうへ追いやったという経緯があり、あまり逸話として好きではない。 大塚の著は、今ひとつ私には理解の行き届かないところがあり、友人なんだから訊けばいいのだが、

    「平家物語」と勧善懲悪の謎(最終回) - jun-jun1965の日記
  • 偉大なる通俗作家としての乱歩--そのエロティシズムの構造 - jun-jun1965の日記

    偉大なる通俗作家としての乱歩--そのエロティシズムの構造 小谷野敦 江戸川乱歩・名平井太郎は、一八九四年の生まれである。このことは、二十代がまるごと、僅か十五年の大正時代に収まるということを意味する。芥川龍之介は二歳年長、久米正雄は三つ、室生犀星は五つ上だが、この世代が、大正の文化に触れながら青年期を送った世代であることに注意したいと思う。大正期こそは、昭和につながる様々な「文化」を醸成した時代だったからである。和洋折衷の「アッパー・ミドルクラス」が形成されたのも、この時代である。久米は、大正五年末に夏目漱石が没した後、その長女筆子に「恋」をするが、結局筆子は松岡譲と結婚し、久米は失恋する。いわゆる「破船」事件だが、その「恋」に、良家の令嬢というものへの憧れがあったことは、当時から友人の菊池寛などに指摘されていた。同じ頃、年齢的にはまだ二十歳で、『地上』一作で天才と呼ばれた島田清次郎は、

    偉大なる通俗作家としての乱歩--そのエロティシズムの構造 - jun-jun1965の日記
  • 歴史中二病 - jun-jun1965の日記

    先日、郷和人さんに、「東大史料編纂所の史料だけ使って日史を書いてください」と言っていたのがいて、そんなことができるはずはなく郷さんもそう答えていたが、私は、典型的な「歴史中二病」だなと思ったのである。 はじめ、人は、歴史に書いてあるのが歴史だと思う。次に、『平家物語』のような古典に書いてあるのが歴史だと思う。だがさらに歴史学者のなど読むと、古文書、古記録などが「一次史料」であって、歴史学者はそういうものを、ぐにゃぐにゃ文字から読み解いて研究するのだと思う。そして佐藤進一の『古文書学入門』などを読んで、すげえ、これが当の学問だと思い、小松茂実の古筆学などを知ってさらに興奮し、『国史大系』の端など買いこみ、大河ドラマを観る人間を軽蔑し、自分は歴史の研究の蘊奥を究めたと勘違いし、歴史なら何でも来いだと豪語するに至るのである。 私は英文科にいたころ、図書室で古活字のシェイクスピア全

    歴史中二病 - jun-jun1965の日記
    nagaichi
    nagaichi 2013/06/21
    二次史料より一次史料が必ず上等だと勘違いしてしまう話か。さすがに中二で罹患することはないと思うけど。
  • 江藤淳の岳父 - jun-jun1965の日記

    『川端康成伝』(中央公論新社)を書いていて、江藤淳がかなり川端を嫌っていたことを知った。同じ鎌倉に住んでいて、江藤は先輩への礼儀として著書が出ると送っていたが、川端は筆まめな人だから、そのたびに礼状をよこしたが、江藤はいっぺんも返事などを書かなかったという。『犬と私』(一九六六)を送った際、やはり礼状が来て、川端も長く犬を飼っていたので、先日十七歳になる犬が死んで、川端家では三十七、八年ぶりに犬が一匹もいなくなったとあった。江藤は、『文學界』に載った川端追悼文で、その手紙は表装して飾ってあるが、それは川端の手紙だからではなく、犬が懐かしいからだとわざわざ書いている。それは川端追悼特集の巻頭に来た長めのものだが、そこで江藤は、川端批判をしているのである。江藤はそこで、川端の文学は高度大衆社会の文学で、谷崎や志賀、荷風の貴族的な文学とは違っていると書いている。 一昨年死去した、川端研究の代表格

    江藤淳の岳父 - jun-jun1965の日記
  • 「役不足」両用説 - jun-jun1965の日記

    水上勉『飢餓海峡』(1963)を読んでいたら、「役不足」の誤用を見つけた。新潮文庫版下巻126pで「力不足」の意味で使われている。 (活字化のため削除) - 『ガラスの仮面』の月影千草は、山安英がモデルだと言われる。つまり「紅天女」は「夕鶴」である。しかし、「紅天女」の作者尾崎一蓮は千種よりずっと年上で、自殺している。対して木下順二は、まあ確かに山の「愛人」ではあったが、山より年下で、山より長く生きている。となると、これは『女の一生』の作者で、早世した森薫と、その愛人でこれを演じ続けた杉村春子、とも言える。あるいは自殺したという点からは加藤道夫、とも言える。そうなると『なよたけ』になるわけで、まあそんな風にいろいろ綯い交ぜにしているということだろう。ただ残念ながら『なよたけ』は、一女優によるロングラン、にはならなかった。 杉村は『女の一生』を平淑恵に譲ったが続かなかった。森繁久弥

    「役不足」両用説 - jun-jun1965の日記
  • 2009-09-04

    正岡子規の『墨汁一滴』には、明白な被差別民に対する差別的な句が載せられている。 「鶴の巣や場所もあらうに穢多の家」 という。 青空文庫では、 http://www.aozora.gr.jp/cards/000305/card1897.html 「この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。(青空文庫) この作品には、被差別部落民に対する蔑称が用いられています。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。(青空文庫)」 とある。しかし岩波文庫では、さらに厳重な但し書きがつけられている。 「不適切と受け取られる可能性のある」どころか、明白な差別であり、「蔑称」の問題ではなくて差別そのものである。青空文庫の但し書きは十分とは言えない。そこはさすがに岩波のほうが厳密で、これが差別そのもの

    2009-09-04
  • 明治の暗さ  - jun-jun1965の日記

    新田次郎『八甲田山死の彷徨』の新潮文庫版の山健吉の解説が、高橋誠一郎の「明治というとよい時代のように言う人がいるが私の印象では暗い時代だった」という言を引いて同意していて、私ははたと膝を打った。 私もそう思う。テレビドラマなどは、中産階級以上の明るい面を強調しすぎている。これは明治に限らずそれ以後でもそうだ。 それでふと思ったのは石光真清の手記で、私はあれがそんなに面白いとは思えない。文章だって息子が直しているし。「近代の暗部」とかいうのだが、近代を明るいと思っていなければ「暗部」も何もなくて、あんなもんでしょうと。 じゃあお江戸が良かったかと言えばとんでもない。要するに「いい時代」なんて存在しないのである。 - ほぼ毎週恒例の東浩紀批判です。 『週刊朝日』今週号で東は、今年から熊野大学を若い連中でやることにしたと書いている。東、市川真人、中上紀が中心になってやったがつまらなかった。これ

    明治の暗さ  - jun-jun1965の日記
  • 井上靖的あり方 - jun-jun1965の日記

    幸を美人じゃないと前に書いたが、撤回する。何か独特の気高さと、マゾの気のある人間には堪えられない冷たさが出ている。まああれで現代ドラマに出るとどうなるのか、分からないが。 さて原作は井上靖である。玄人筋の評価は低い。しかし、死後もちゃんと読まれ続けている。一般に、玄人筋では、井上は、初期の「猟銃」なんかは良かったが、大岡昇平による「蒼き狼」批判以降、その歴史小説は「ダメ」だということになっていて、晩年の『孔子』なんか、野間文芸賞はとっているが、褒める人がほとんどいない。 しかし、『孔子』はともかく、井上は、河野多恵子がいう「広義の才能」に多分に恵まれた人だったのではないかと思われる。『しろばんば』などの自伝的作品はうまいし、歴史小説でも、「風濤」「楼蘭」「敦煌」「淀どの日記」など、妙に短い。吉川英治、海音寺潮五郎、司馬遼太郎の作品が、時には十巻を超えることもあるのに比べたら、みな一冊で

    井上靖的あり方 - jun-jun1965の日記
  • それでも匿名批判は卑怯である - jun-jun1965の日記

    ある場合における匿名批判の意義は認める。自分が勤める企業の内部告発とか、自分の生殺与奪の権を握るような大物への批判とかである。しかし、糸圭秀実や渡部直己の、文藝雑誌における匿名批評の重視は、私にはよく分からない。なぜなら、匿名なら何でも書けるかといえば、編集部や編集長というものがいて、そこでストップされることもあるだろうからだ。 - 何かガタガタ言っている連中がいるな。私が卑怯だと言っているのは福冨諭、電気通信大学博士課程中退。 佐々木俊尚とか、匿名を擁護して「フラット革命」だのと言っているのが、IT関連の連中で、匿名で何か言いたいというチンケな連中の欲望を吸い上げて利権にしている連中だからな。その利権に踊らされているのだよ、君たちは。 それで儲けているからあれこれ理屈を捏ねているに決まっているだろう。 新聞の投書欄は実名が原則だ、と書いたら、だからつまらない投書ばかりなのだ、と言っていた

    それでも匿名批判は卑怯である - jun-jun1965の日記
    nagaichi
    nagaichi 2007/09/15
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