奈良県明日香村の石神遺跡で出土した7世紀後半の木簡に、万葉集の和歌が記されていたことが、森岡隆・筑波大大学院准教授(日本書道史)の調べで分かった。紫香楽宮(しがらきのみや)跡(滋賀県甲賀市)から出土した万葉歌を記した木簡(8世紀中ごろ)を半世紀以上さかのぼる最古の例。8世紀後半には成立した万葉集以前の歌の在り方や成立過程を知る上で、貴重な発見となった。 木簡は、奈良文化財研究所の03年度の石神遺跡発掘調査で、溝付近から出土していた。同じ溝から天武・持統朝(672~697年)の木簡が見つかっており、同時期のものとみられる。 木簡(長さ9.1センチ、幅5.5センチ、厚さ6ミリ)は羽子板のような形。万葉集に収められた和歌「朝なぎに 来寄る白波見まく欲(ほ)り 我はすれども 風こそ寄せね」のうち、万葉仮名で、左から左右2列にわたって7文字ずつ、「阿佐奈伎尓伎也(あさなきにきや)」、「留之良奈●麻久