戦国武将真田信繁(幸村)とその父昌幸の肖像画だとして江戸時代に広まった絵の原画は、ともに別人の肖像だったとする研究を、上智大の中沢克昭准教授(50)=日本中世史、長野市出身=がまとめた。「幸村像」の原画は昌幸の兄信綱を描いた可能性が高く、「昌幸像」の原画は信繁の兄で松代藩真田家初代の信之(信幸)だとしている。 原画はともに高野山(和歌山県高野町)の真田家菩提(ぼだい)寺、蓮華定院(れんげじょういん)に伝わる。「幸村像」の原画が収められていた箱を確認したところ、「真田源太左衛門信綱侯御画像一心谷蓮華定院」と墨書されていた。中沢さんは「信繁との接点は見つかっていない」とし、描かれたのは信綱である可能性が高いとみている。 信綱は真田家が甲斐(今の山梨県)の武田氏に従っていた頃の当主。1575(天正3)年の「長篠の合戦」で戦死し、昌幸が跡を継いだ。 制作時期や奉納者などは不明だが、江戸時代の