北条早雲<3> 北条早雲(伊勢宗瑞(そうずい)、1456~1519年)が戦国大名となった背景に、「巨大地震と津波があった」という説を取り上げる。 伊豆へ侵攻した早雲は、堀越御所(静岡県伊豆の国市)を落とし、近くに韮山城を築き、居城とした。 伊豆の拠点を制した年を記した地図を見るとわかる通り、ここで早雲の侵攻は一度止まっている。というのも、これまで紹介したように、早雲の伊豆攻めの目的は、京都の足利将軍から母と弟のあだ討ちを命じられたことだったから、伊豆全体を支配する大義がなかったのだ。 このときに早雲は、将軍からの命令のほか、おいである駿府城(静岡市)の今川氏親(うじちか)(義元の父)の配下として遠江(静岡県西部)へ進軍したり、関東の上杉氏の指示で南関東へ出兵したりしていた。独立性の高い戦国大名ではなく、幕府から派遣された使い勝手の良い武将というのが実態だったようだ。 早雲は、伊豆平定に14