「これはいい、胸にクる。だが、若い人には分からんだろう」、そう言えるくらい齢とってしまったことに愕然とする。 人生は変わる。人も変わる。なのに、記憶だけは変わらずに追いかけてくる。ふいに思い出した若かりし日々の言動に、夜、独り身悶えしたり、もう何度目かの後悔を繰り返す。懐かしく痛々しくて情けない、そういう想起のよすがとして、チェホフは、恐いくらいに効いてくる。 かつてのラノベがそうだった。押しかけ女房ヒロインや、ハーレム展開なんてありえない。だけど、そんなシチュに気持ちを重ねて共鳴する。好きだと言えずに初恋は、「すき」という言葉の戯れだけだった。「萌え」はバーチャル、リアルは「燃え」だった。そんな残滓や焼けぼっくいに、チェホフは、容易に点火する。 「こんな女いるよね?」「いるいる!」と大きな声で言えなくなってしまったのが、『可愛い女』(『かわいい』と改題されてた)。なぜ声を潜めるのかという
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