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ブックマーク / crd.ndl.go.jp (9)

  • ことわざ「虎に翼」の出典が知りたい。 | レファレンス協同データベース

    事例作成日 2024年07月06日 登録日時 2024/07/06 17:01 更新日時 2024/07/17 16:11 出典としては『逸周書、寤儆解』 『韓非子 難勢』の二つがあげられます。 ①『故事成語名言大辞典』(『鎌田 正/著 米山 寅太郎/著 大修館書店 1988年) P941「虎に翼:虎のために翼をつける。荒々しく残忍なものに、さらに威力をつけ加えるたとえ。 鬼に金棒。→「虎の為に翼を傅(つ)くること毋(な)かれ」参照。 P941-942「虎の為に翼を傅(つ)くること毋(な)かれ」を見る。 「ただでさえ鋭い爪と牙を持つ虎に、そのうえ、空を自由に飛べる翼をつける ようなことはするな。強悪なる勢力がある者に、さらに勢力を付け加えるような ことはしてはならないというたとえ。◇虎に翼 『韓非子』の難勢編に見える『逸周書』より引用とある。 ②『大漢和辞典 巻9 修訂版 缶部…虍部』(諸

    ことわざ「虎に翼」の出典が知りたい。 | レファレンス協同データベース
    nakag0711
    nakag0711 2024/07/25
  • 日本の新聞記事や放送映像で「死体」の掲載をしなくなったのはいつごろからか知りたい。参考になる資料を紹... | レファレンス協同データベース

    事例作成日 2016年01月13日 登録日時 2016/03/22 09:37 更新日時 2016/03/22 09:37 お役に立ちそうな資料は以下のとおりです。 ➀『新聞報道と顔写真』小林弘忠著 中央公論社 1998 <070.17GG/3> (21070552) 「残酷現場はいつから載らなくなったか」(p173~180) 新聞における遺体写真の掲載状況の変化について、記載があります。 ②『人権と報道を考える(法学セミナー増刊総合特集シリ−ズ39)』日評論社 1988 <070.1W/178> (12295515) 「⑨誘拐支店長監禁事件写真報道・藤沢バラバラ事件 配慮と品位に欠けた残酷報道」 (p71-72)に 「遺体写真も含めた残酷な写真の掲載に関して、新聞各社は具体的な報道基準は決めていない。しかし遺体写真については、明文化されていない掲載基準はある。外国の戦争報道で戦争の悲惨

    日本の新聞記事や放送映像で「死体」の掲載をしなくなったのはいつごろからか知りたい。参考になる資料を紹... | レファレンス協同データベース
    nakag0711
    nakag0711 2022/01/26
    事件の場合掲載されなければ実態より悪質性の印象は弱くなるだろうし難しいところ
  • 「てふ」と書いてなぜ「ちょう」と読むのか知りたい。 | レファレンス協同データベース

    調査した結果、もともと「てふ」は「ちょう」とは読まなかったことが判明した。 調査した資料に書かれていたことをまとめると次の通り。 ・昆虫の蝶は、昔は和語の「カハヒラコ」と呼称されていたが、平安時代、外来語の呼称「tiep」に取って代わられた。 この発音「tiep」をそのまま文字に書き写したものが「てふ」だった。 ・この発音「tiep」は、時代を下るにつれて変化していく。 具体的には、平安中期以降から鎌倉時代にかけて「てう」に変化し、 江戸時代までには「ちょお」と発音するようになった。 ・ところが「てふ」という表記だけは変わらずに「てふ」のまま残り続けた。 このずれのために、「てふ」と書いて「ちょう」と読むようになった。 〇調査した資料 ・『国語科図説:図説全集』(石井 庄司/編著 岩崎書店 1960) p.238-239「歴史的かなづかいは、われわれ現代人の発音を写し書くには、まことに不便

    「てふ」と書いてなぜ「ちょう」と読むのか知りたい。 | レファレンス協同データベース
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    nakag0711 2020/09/17
  • 夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したとされる根拠となる文献はないか。 | レファレンス協同データベース

    確かな根拠を示す資料を見つけることはできませんでした。 参考文献: ○英語教師としての漱石 ・川島幸希/著 『英語教師夏目漱石』(新潮社 2000) ・大村喜吉/著『漱石と英語』(の友社 2000) ・夏目金之助/著『漱石全集 別巻 漱石言行録』(岩波書店 1996) ・野谷士 玉木意志太牢/著『漱石のシェイクスピア』(朝日出版社 1974) p.71「演技する女性」の章に漱石の愛情表現について記載がありますが、i love youの表現については 記載がありませんでした。 ○明治期の英語表現 ・福原麟太郎/著『日英語』(恒文社 1997) ・金田一春彦/著『日人の言語表現』(講談社 1975) p.237二葉亭四迷とI love youについての記述はありますが、漱石については記載はありません。 ○漱石と逸話 ・『珈琲店のシェイクスピア』 p.236につかこうへいの発言で、夏目漱

    夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したとされる根拠となる文献はないか。 | レファレンス協同データベース
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    nakag0711 2015/09/29
  • イギリスの客船の船長、あるいは軍艦の艦長が船が沈むとき船と運命を共にする習慣はいつごろどのように始ま... | レファレンス協同データベース

    イギリスの客船の船長、あるいは軍艦の艦長が船が沈むとき船と運命を共にする習慣はいつごろどのように始まったのか。またその起源はイギリスか? 起源についての資料はなかった。 ①、②の中に、船員法第12条「船長の最後退船の義務」が船長を船と運命を共にさせることになったと述べられている。また、同法は改正され、船長も緊急避難に関する刑法37条の通用を受けるようになったとある。日海事史学会のアドバイスにより、この法律の根拠をさかのぼってみたが不明。また、海難審判の歴史からもアプローチできるのではないかということで、日海法会、日海難防止協会を紹介。 ①の中に、船と運命をともにした日船の事例があり、船員法第12条「船長最後退船義務」への批判の声を日船長協会があげていたとあったので、改正にむけての、船長の退船の事例調査を同協会が行った可能性を考え、あわせて紹介した。

    イギリスの客船の船長、あるいは軍艦の艦長が船が沈むとき船と運命を共にする習慣はいつごろどのように始ま... | レファレンス協同データベース
    nakag0711
    nakag0711 2014/06/27
    日本では船長の最後退船の義務は法改正で削除された経緯があるとのこと
  • 東京海洋大学客員准教授「さかなクン」の本名が知りたいです。 | レファレンス協同データベース

    下記の資料およびインターネットサイトを確認いたしましたので、ご紹介いたします。 1.人公式サイト 名の記載はありませんでした。 さかなクンオフィシャルホームページ http://www.sakanakun.com/ 2.水産庁サイト 「水産政策審議会特別委員の任命について - 水産庁・2006年2月14日」 http://www.jfa.maff.go.jp/j/press/18/021403.html に ※ 宮澤 正之  お魚イラストレーター (さかなクン) と記載されています。 3.東京海洋大学サイト 海洋科学部の教員紹介には、客員教授の掲載がありませんでした。 教員紹介があるページの「スタッフ紹介」に、「客員スタッフ」の記載があり、 宮澤正之の名前があります。さかなクンという記載はありません。 ただし、所属として記載されている(株)アナンインターナショナルは、 さかなクンが所属

    東京海洋大学客員准教授「さかなクン」の本名が知りたいです。 | レファレンス協同データベース
    nakag0711
    nakag0711 2014/05/18
    さかなクンさんは宮澤さんだった
  • 53年に住金が始めた「ご安全に」あいさつ運動について、住金が発祥である旨が確認できるもの、やり始めた... | レファレンス協同データベース

    53年に住金が始めた「ご安全に」あいさつ運動について、住金が発祥である旨が確認できるもの、やり始めたきっかけなどが分かるものはないか。また、鉄鋼業界以外に広まっているそうだが、そのことが確認できるものはないか。 所蔵資料では「ご安全に」あいさつ運動についての記述は見つからなかった。WEBページでは、「ご安全に」あいさつ運動について、またその由来について書かれた資料が見つかったので紹介した。 資料①には「現在、作業現場で広く使われている『ご安全に』という挨拶や、作業前に危険を予想し対策に結び付ける『危険予知(KY)活動』は、当社が始めた活動です。」との記述がある。資料②には「当社で始まった安全活動の中には、全国に広まったものもあります。たとえば現在、多くの企業で日常的なあいさつとして浸透している『ご安全に!』は、昭和26年、製鋼所製鋼課の大中副長が、ドイツの鉱山で『Gluckauf』という『

    53年に住金が始めた「ご安全に」あいさつ運動について、住金が発祥である旨が確認できるもの、やり始めた... | レファレンス協同データベース
    nakag0711
    nakag0711 2014/05/18
    ふーむ住友用語だったか
  • 高校生からのレファレンスで、演劇における上手と下手の印象の違い、および、舞台前方と後方の印象の違いを... | レファレンス協同データベース

    高校生からのレファレンスで、演劇における上手と下手の印象の違い、および、舞台前方と後方の印象の違いを知りたい。 例えば、上手から役者が出てくるのと、下手から役者が出てくるのとでは、観客はどのような印象の違いをもつのか。 以下に掲げる文献①によると、「舞台は、上手・下手、舞台中央、舞台前・舞台奥-平舞台・二重舞台、以上五つの場と三つの位置関係に分析される。これらの各場は、その場の性質に従って演出と密接に結びつき、舞台の演出の定式として守られてきている。」「舞台各場の性質、その比重に合せて役の上下、内容の上での身分の上下等によって演技の場、居どころが決ってくるのである。」とあり、各場によって確かにそれぞれの効果があることを伝えた。 また、②③の文献についても、紹介した。 ①『演劇學』第6号 早稲田大学演劇学会、1964年 p.35より「歌舞伎の定式舞台と演出」というテーマで語られている。特に

    高校生からのレファレンスで、演劇における上手と下手の印象の違い、および、舞台前方と後方の印象の違いを... | レファレンス協同データベース
    nakag0711
    nakag0711 2014/05/18
    やはりあまりはっきりしないな
  • レファレンス協同データベース「この道をいけばどうなるものか」から始まる言葉の全文が知りたい。良寛の言葉らしい。 - レファレンス共同データベース

    清沢哲夫(のちの暁烏哲夫)氏の詩「道」が該当の詩です。 この詩は、初出「同帰」第335号(昭和26年10月1日発行)。 『無常断章』1966.5 法蔵館に所収されています。 なお、『猪木寛至自伝』には、一休宗純の言葉として以下の詩が掲載されています。 「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」 これにより、アントニオ猪木氏がこの言葉を一休宗純の言葉として認識しているということはわかりました。 またインターネットサイトでも、一休宗純の言葉として扱っているページが複数存在することもわかります。 しかしながら、一休宗純の言葉であることを示す根拠となる資料は、発見できませんでした。 したがって、アントニオ猪木氏の座右の銘は、一休宗純よりも 清沢哲夫氏の詩の改変である可能性が高いと考えます。 インタ

    レファレンス協同データベース「この道をいけばどうなるものか」から始まる言葉の全文が知りたい。良寛の言葉らしい。 - レファレンス共同データベース
    nakag0711
    nakag0711 2014/04/21
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