奈良に陛下退位後の離宮を=荒井知事が検討指示 奈良県の荒井正吾知事は14日の定例記者会見で、天皇陛下が退位後に滞在される離宮を奈良に造るアイデアを披露した。既に事務方に検討を指示したが、具体的な場所などは未定としている。 荒井知事は離宮のイメージについて、心身を休めてもらい、文化や歴史など学問的な興味を提供できる場と説明。「生前退位されたら、奈良として何かお喜びいただけるような貢献ができたらという気持ち」と語った。(2017/06/14-12:47) 【政治記事一覧へ】 【アクセスランキング】
官邸、宮内庁にてこ入れ=お気持ち表明で不満 宮内庁長官の風岡典之氏が26日付で退任し、山本信一郎次長が長官に昇格、後任の次長には西村泰彦内閣危機管理監が就任する。天皇陛下のお気持ち表明に至る過程で、宮内庁の対応に不満を持った首相官邸が、人事でてこ入れを図ったようだ。 宮内庁幹部の異動は春が通例で、風岡氏も当初は来年3月末まで務めるとみられていた。政府関係者は、退任が早まった理由について「お気持ち表明に関し、誰かが落とし前をつけないと駄目だ」と語った。 陛下の生前退位のご意向が官邸に伝えられて以降、杉田和博官房副長官らは、退位の自由は憲法上認められていないと判断し、負担軽減策の検討を進めていた。そうした中で陛下のお気持ち表明の動きが表面化した。官邸は宮内庁に対し、「陛下が思いとどまるよう動くべきだった」(関係者)と辛口評価だ。 宮内庁次長には、事務次官経験者が各省の顧問などを経て就任す
天皇の「生前退位論」は、憲法学においては、実はかつて重要な争点であった。 https://t.co/bKQOhDtMNN
攻める時は雄弁になる。それが安倍晋三・総理大臣のスタイルだった。「憲法解釈の最高責任者は私だ」「支持率のために政治をやっていない」──安保法制審議の中でも強気の発言を繰り返してきた。 雄弁な総理と対照的に、黙々と国民のため、平和のための祈りを続けてきたのが今上天皇である。その天皇がついに「お言葉」を発する──安倍首相があれだけ入れ込んでいた戦後70年談話の格下げ(閣議決定をしない=私的談話となる方針が明らかになった)に動き始めたのは、沈黙を破って発される「お言葉」の重みが、政権を揺るがすことを怖れているからではないか。 天皇は毎年8月15日に全国戦没者追悼式に出席し、「お言葉」を述べる。この20年近くは、例年、文面もほぼ決まっている。 〈ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の
天皇陛下は、新年にあたって文書で感想を表されました。 その全文は次のとおりです。 昨年は大雪や大雨、さらに御嶽山の噴火による災害で多くの人命が失われ、家族や住む家をなくした人々の気持ちを察しています。 また、東日本大震災からは四度目の冬になり、放射能汚染により、かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。 昨今の状況を思う時、それぞれの地域で人々が防災に関心を寄せ、地域を守っていくことが、いかに重要かということを感じています。本年は終戦から七十年という節目の年に当たります。 多くの人々が亡くなった戦争でした。 各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切な
天皇陛下は23日、81歳の誕生日を迎えられました。 天皇陛下は、誕生日を前に、皇居・宮殿で記者会見に臨まれました。 (質問)。 この1年を振り返り、社会情勢やご公務、ご家族との交流などで印象に残った出来事をお聞かせください。 来年に向けてのお考えもあわせてお答えください。 また、来年は戦後70年という節目の年を迎え、両陛下のパラオご訪問が検討されています。 改めて先の戦争や平和に対するお考えをお聞かせください。 (天皇陛下)。 この1年を振り返り、印象深い出来事としては、最近スウェーデンで行われたノーベル物理学賞の授賞式で赤崎、天野、中村3博士が受賞されたことです。 赤崎、天野両博士が青色発光ダイオードを作り、さらに同じ頃、独自にもその研究を果たしていた中村博士によりその実用化が進められました。 照明器具として消費電力が少なく、発光による熱し方も少ないことから、社会のさまざまな分野で利用さ
それは、安倍首相に対して発せられたとしか思えないものだった。10月20日の誕生日を前にした文書コメントで、美智子皇后が「来年戦後70年を迎えることについて今のお気持ちをお聞かせ下さい」という質問に、こう答えたのだ。 「私は、今も終戦後のある日、ラジオを通し、A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の強い恐怖を忘れることが出来ません。まだ中学生で、戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく、従ってその時の感情は、戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく、恐らくは国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する、身の震うような怖れであったのだと思います」 実はこの皇后発言の2ヶ月前、安倍首相がA級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要に自民党総裁名で哀悼メッセージを送っていたことが報道されていた。連合国による裁判を「報復」と位置づけ、処刑された全員を「昭
安倍首相のブレーンである麗澤大学教授の八木秀次氏が天皇陛下の護憲発言について、「両陛下のご発言が、安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねない」というような批判の発言をしていることが判明しました。これは2014年04月01日に発売された「正論5月号」での発言で、八木氏は天皇陛下が護憲を強調していることは安倍政権への批判であり、このような発言を控えるように述べています。 しかしながら、天皇陛下は今まで一度も具体的に安倍政権の名前をあげて批判をしたことはなく、これは八木氏の被害妄想に近いと言えるでしょう。この発言には保守系の方々からも強い批判の声が出ており、漫画「ゴーマニズム宣言」で有名な小林よしのり氏も「根も葉もない言い掛かりだ」と自身のブログ上に書いています。 八木氏は安倍首相のブレーンなので、これを安倍首相側が言わせるように仕向けた可能性があるかも
「東京から一番近い棚田」として知られる大山千枚田(千葉県鴨川市)で昨年12月、課外授業で訪れた東京都足立区の小学生らが天皇陛下の歌碑に上り、男性教諭が記念撮影しようとしているのを千枚田の保存活動に取り組んでいるNPO法人が見つけ、区教委に抗議していたことが13日、関係者への取材で分かった。区教委は事実を認め、同法人に謝罪している。 区教委などによると、昨年12月中旬、自然教室で訪れた区立小学校の当時5年の児童らが大山千枚田を訪れ、千枚田を一望できる展望スペースに設置された歌碑に上った。付き添いの男性教諭は特に注意をすることなく、記念撮影をしようとしたという。 NPO法人「大山千枚田保存会」のメンバーが目撃し、口頭で注意した後、区教委に抗議した。 記念碑は平成24年に建立された。天皇、皇后両陛下が22年9月に棚田を訪問された際に陛下が詠まれた和歌が刻まれており、そばには建立の経緯を記した説明
宮内記者会代表質問 問1 陛下は傘寿を迎えられ,平成の時代になってまもなく四半世紀が刻まれます。昭和の時代から平成のいままでを顧みると,戦争とその後の復興,多くの災害や厳しい経済情勢などがあり,陛下ご自身の2度の大きな手術もありました。80年の道のりを振り返って特に印象に残っている出来事や,傘寿を迎えられたご感想,そしてこれからの人生をどのように歩もうとされているのかお聞かせ下さい。 80年の道のりを振り返って,特に印象に残っている出来事という質問ですが,やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており,その翌年の12月8日から,中国のほかに新たに米国,英国,オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が,若くし
宮内庁は14日、天皇、皇后両陛下の意向を受け、逝去の際の葬儀や墓にあたる陵について方針をまとめ、公表した。国民生活への影響を極力減らすことが望ましいとの両陛下の考えを基本に、陵は昭和天皇陵より小さくし、天皇陵と皇后陵が寄り添うように並ぶ。土葬ではなく火葬とする。葬儀場の候補地は明示しなかったが、その規模や儀式の簡素化も含め、今後さらに細目を詰めるという。 今回の検討結果は皇室の私的行事としての葬儀や陵の造営が対象。国事行為として政府が催す「大喪の礼」については「内閣が判断する」と検討を委ねた。 同日、記者会見した風岡典之・宮内庁長官によると、葬送について天皇の遺言にあたる「遺詔(いしょう)」が残されることは多いという。だが検討過程も含め事前に広く公表されたのはきわめて異例。両陛下はかねて昭和天皇陵などがある武蔵陵墓地(東京都八王子市)には用地の余裕がないことを懸念し、自身の陵の規模を縮小し
宮内庁の風岡典之長官は14日の定例記者会見で、秋の園遊会で天皇陛下に直接手紙を渡した山本太郎参院議員について、刃物が入った封筒が同議員宛てに届いたとの新聞記事を見た陛下が心配されていることを明らかにした。
飛鳥時代の斉明天皇が埋葬されたという見方が出ている奈良県明日香村の古墳から、銀の線でつながれた20個ほどの大小のガラス玉が見つかり、専門家は、「埋葬された人物の地位の高さを示す副葬品だ」と指摘しています。 奈良県明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳は、飛鳥時代の天皇の墓の特徴である八角形をしていることから、大化の改新を行った中大兄皇子の母親に当たる斉明天皇が埋葬されたという見方が出ています。 銅で覆われた状態で出土したガラス玉とその周辺を、奈良文化財研究所がエックス線を使って分析したところ、直径1センチほどのガラス玉の周りに、白や緑、茶色の直径1ミリほどの別のガラス玉が20個ほど置かれ、それらは4本の銀の線でつながっていたことがわかりました。 研究所の降幡順子主任研究員によりますと、古墳からガラス玉がつながった状態で見つかるのは、全国でも極めて珍しいということです。 飛鳥時代に詳しい東京
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安倍政権が28日に開いた「主権回復の日」式典で天皇、皇后両陛下に万歳三唱が起きたことに対し、菅義偉官房長官は30日午前の記者会見で「自然発生したもので、政府として論評するべきではない」と語った。 式典では、菅氏が閉式の辞を述べた直後に会場内から「天皇陛下万歳」のかけ声が起き、壇上の安倍晋三首相や麻生太郎副総理も万歳をした。菅氏は、国民主権の観点から適切かという質問に対しては、「予想もしていなかった。閉式の辞で全てが終わっていた」と述べ、問題ないとの認識を示した。 関連リンク政権・沖縄広がる溝 「主権回復」と「屈辱」 強まる安倍色、外交優先(4/29)
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