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2008年2月25日のブックマーク (4件)

  • アファーマティヴアクションを巡る倒錯した非難/苺畑カカシさんへ3 - macska dot org

    Filed under economics, politics Posted on 2008/02/25 月曜日 - 01:18:57 by admin Responses are currently closed, but you can trackback from your own site. http://macska.org/article/219/trackback/ 60 Responses - “アファーマティヴアクションを巡る倒錯した非難/苺畑カカシさんへ3” macska Says: 2008/02/25 - 08:27:02 - いまカカシさんのサイトを見たら、エントリが少し書き直されており、次の断りがありました。 お断り:このエントリーは数時間前に掲載したものを訂正して書き直したものです。特定の人物への個人攻撃のような内容があったのでその部分を削除しました。数時間前

    アファーマティヴアクションを巡る倒錯した非難/苺畑カカシさんへ3 - macska dot org
    namawakari
    namawakari 2008/02/25
    コメ欄。一連の議論からどうしてmacskaさんが共産主義者だという結論が出るのか理解不能。あと、市場は素晴らしいものだが万能ではないという考えが社会主義なら、ケインズあたりも社会主義ってこと?んなアホな。
  • 自由市場は「統計型差別」を解決できるのか/苺畑カカシさんへ2 - macska dot org

    前回書いたエントリへの返答を苺畑カカシさんから早速いただいた。わたしは彼女のブログを定期的にチェックしているわけではないので前回自分について書かれていることにしばらく気付かなかったのだけれど、カカシさんは即座に反応してくださったようだ。内容を読むと、これまでに比べて多少まともな議論になっている(少なくとも、こちらの主張が何かということをある程度理解したうえで反論してくださっているーーただし、わたしの論理のどこがおかしいのか指摘しようともせず、ただ自分はこう思うと言うだけだが)ようで、今後もその調子でお願いしたいところだ。わたしがリベラルを名乗るのは、ただ単にリベラル政治思想を主張しているというだけでなくて、異なる意見の持ち主が議論を通じてより良いアイディアを出していくというプロセスを大切にするというところまで含めてのことなので、まともに議論ができるというのはすごく大事だと思う。 というわ

    自由市場は「統計型差別」を解決できるのか/苺畑カカシさんへ2 - macska dot org
    namawakari
    namawakari 2008/02/25
    ここまで極端な市場主義者もなかなかお目にかかれない。
  • ホルスター「社会の道徳」 - たけみたの脱社会学日記

    承前 http://d.hatena.ne.jp/takemita/20070606/p1 来年ルーマンの『社会の道徳』が刊行されるにあたって、編者のホルスター先生が2007年7月10日に同じ題名の報告をしたそうな。サイトに原稿が上がっていたので翻訳してみる(途中)。(粗訳段階なので「である」が多い不格好な文章ですが。) デートレフ・ホルスター 「社会の道徳」 1. 他の社会学者の議論の検討 2. 今日の社会 3. 象徴によって一般化したコミュニケイション媒体 4. サブシステムと道徳 5. 相互行為、組織、社会 ← いまここ 6. 二重偶然性と道徳の必要 7. 価値 8. システム理論のサブ理論としての倫理学 1. 他の社会学者の議論の検討 ある社会の中で、道徳がどんな機能を担っているか。社会学者はこういう問いの立て方をする。これは哲学者には馴染みの薄い発想である。哲学者は、道徳とは何で

    ホルスター「社会の道徳」 - たけみたの脱社会学日記
  • 「システムが存在する」という出発点と、(仮説演繹的ではなく)索出的なシステム理論 - たけみたの脱社会学日記

    Soziale Systeme第1章冒頭の「システムが存在するということから出発する」の意味については、前に論じた。 さてルーマンは抽象的で現実から遊離した空論を唱える学者、というのが大方のイメージだろうが、少なくとも人の自覚は正反対である。デビュー当時からルーマンは「抽象的で現実から遊離した空論」を徹底的に批判してきた。よく言うせりふが「自分のシステム理論は仮設演繹的なものではなくて索出的(ヒューリスティック)なものだ」という言い方である。そして実は、「システムが存在するということから出発する」という言い方は、この立場を明確に表明したものだといえるのだ。 「システムが存在する」の意味は、システム理論が、概念定義や公理の設定などによって「システム」という(「システム」としか呼ばれえない)新しい対象をつくり出すのではなく、(一定の性質を備えた)既存の対象に「システム」という名前を認定するも

    「システムが存在する」という出発点と、(仮説演繹的ではなく)索出的なシステム理論 - たけみたの脱社会学日記