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ブックマーク / takemita.hatenadiary.org (15)

  • von Neumann-Morgenstern効用関数は基数的か? - たけみたの脱社会学日記

    三谷武司,2006,「von Neumann-Morgenstern効用関数は基数的か?」,盛山和夫(編),『高齢化社会の公共性に関する社会学的研究』,pp. 153-166 (PDFはこちら) 1. 基数的効用関数、序数的効用関数、NM効用関数 John C. Harsanyiは、von Neumann-Morgenstern効用関数(以下、NM効用関数と略記する。)を用いることで、全員の効用値の総和を最大化するような選択が倫理的に正しい選択だとする効用総和主義を復活させたとされている。少なくとも、人および彼の支持者の多くはそう考えている。まずはこの「復活」ということの意味を確認しておく。 1.1. 基数的効用関数と効用総和主義 効用総和主義というのはもともと、ある状況で個人が体験する一種の心理状態を倫理的判断の基礎に据えようとする立場であった。たとえば快感、たとえば幸福がそれに当たる

    von Neumann-Morgenstern効用関数は基数的か? - たけみたの脱社会学日記
  • 初期ルーマンのルーティン論――「ルーティン礼讃」を中心に - たけみたの脱社会学日記

    明日の報告の原稿。 Politische Planung: Aufsaetze zur Soziologie von Politik und Verwaltung 作者: Niklas Luhmann出版社/メーカー: VS Verlag fuer Sozialwissenschaften発売日: 2007/01/16メディア: ペーパーバックこの商品を含むブログ (3件) を見る 【初期ルーマンの基姿勢】 アプリオリに正しいものがあると思うな、ただし、 産湯といっしょに赤子を流すな(あるいは末転倒はやめろ)、そのためには、 「木を見て森を見ず」をやめろ。 【批判対象】 人間関係(至上主義)運動: 非公式組織の重要性を強調するあまり、それが公式組織より重要だと思っているやつらは駄目だ。重要性の順序はレキシカル。まず公式組織のもたらす革命的に重要な機能があって、しかしそれも行き過ぎると非

    初期ルーマンのルーティン論――「ルーティン礼讃」を中心に - たけみたの脱社会学日記
    namawakari
    namawakari 2011/01/05
    さらっとしてるけど重要かも。
  • 盛山和夫『リベラリズムとは何か』 - たけみたの脱社会学日記

    リベラリズムとは何か―ロールズと正義の論理 作者: 盛山和夫出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 2006/06/01メディア: 単行 クリック: 44回この商品を含むブログ (49件) を見る盛山の「格差原理はマキシミンではない」という主張は根拠不十分である。 - (1)まず、格差原理がマキシミン的意思決定原理から導出されることから、両者を混同する人がいるといわれている。 多くの論者たちは、原初状態において正義の原理が導かれるロジック(正義の原理の導出論)にマキシミン・ルールが用いられたことと、正義の原理の一部を構成する格差原理の内容がマキシミン・ルールの適用であるということとを混同している。それはあたかも、民主主義的な投票によって大統領を選ぶということから、大統領の個々の政策決定をも民主主義的投票によって決めることになるはずだと考えるような、異なるレベルの混同である。形式的に言えば、

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  • アロー「ロールズ正義理論に関する序数主義的効用主義者のノート」 - たけみたの脱社会学日記

    Kenneth J. Arrow, 1973, “Some Ordinalist-Utilitarian Notes on Rawls’s Theory of Justice,” The Journal of Philosophy 70, pp. 245-263 『正義の理論』の書評論文。盛山『リベラリズムとは何か―ロールズと正義の論理』では第一節の「資産平等主義」が第六節の「所得の完全平等化」と同一視されて批判されているがこれは間違い。後者はアローが間違えているが、前者は正しいと思う。この件はまた後日。 第一節 「ロールズ理論の基側面」 ロールズの正義原理の基は「一般格差原理」。つまり自由、機会、所得、財産、自尊心の基礎といった社会的価値は、基的に平等がよく、全員の利益になる場合にのみ不平等が許されるというもの。これは才能の(不平等)分布を共通の資産と考える資産平等主義。これには自

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  • 盛山和夫『リベラリズムとは何か』 - たけみたの脱社会学日記

    リベラリズムとは何か―ロールズと正義の論理 作者: 盛山和夫出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 2006/06/01メディア: 単行 クリック: 44回この商品を含むブログ (49件) を見るようやく検討開始。 序章 「リベラリズムという思想」 I 「ロールズ『正義論』とはなにか」 第1章 「多元的社会にとっての規範的な原理」 第2章 「ロールズ『正義論』の衝撃」 アローの不可能性定理が功利主義の不可能性を示した、と位置づけられているが、これは間違いだろう。 この定理が意味しているのは、「人々の効用の大きさ(あるいはその順序)を基礎にして、いかなる社会状態が社会的な観点からみて望ましいものであるかを導き出すことは、もしも条件(a)〜(c)を前提にすれば、できない相談だ」ということである。 「効用」というのは、功利主義思想において幸福、快楽、善……などの用語で語られてきた諸概念を経済学

    盛山和夫『リベラリズムとは何か』 - たけみたの脱社会学日記
    namawakari
    namawakari 2010/10/15
    “主観的な利益を表す(基数的)効用を使わない場合、一定の倫理的要請を満たす社会的選択ルールが存在しないことを示しているわけだ。…アローの定理が功利主義の不可能性を示したわけではない”
  • 富野由悠季監督『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』 - たけみたの脱社会学日記

    機動戦士ガンダム 逆襲のシャア [Blu-ray] 出版社/メーカー: バンダイビジュアル発売日: 2008/02/22メディア: Blu-ray購入: 2人 クリック: 57回この商品を含むブログ (68件) を見るまあなんというか、厨二病がいろんな形、いろんな程度で、同時多発的に発症して、そのエネルギー(=サイコフレームの光)で観客の頭が真っ白になる映画、というのが、最も適切な要約ではないかと思う。 物語を引っ張るフックは大きく分けて二つある。一つは、シャアによる地球寒冷化作戦=隕石落としを、アムロたちロンドベル(≒地球連邦軍)が防げるか否か、というポイント。もう一つは、「サイコフレーム」という新技術が、どうも実はジオン側から連邦軍に流れてきたものらしいが、それはなぜか、という謎。 物語上はこの二点が牽引力を発揮している・・・はずなのだが、しかし観客はおそらく、それらの点にはあまり関心

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    namawakari
    namawakari 2010/02/15
    ツンデレ批評
  • 内藤朝雄『いじめの構造』 - たけみたの脱社会学日記

    いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書) 作者: 内藤朝雄出版社/メーカー: 講談社発売日: 2009/03/19メディア: 新書購入: 37人 クリック: 550回この商品を含むブログ (71件) を見る書には何一つ新しい知見はない。いじめで苦しんだ者なら誰でも知っていることしか書かれていない。自分を苦しめる人間を「友達」と呼ぶように強いる「学級」のしくみ、同級生と仲良くできること(だけ)が成功だとする現実離れした「理想」が、諸悪の根源だということなんて、中学生だって(特にいじめられた経験がある人は)知っている。 にもかかわらず、誰もこの周知の事実を書いてくれなかった。そこに内藤朝雄の仕事の存在価値が生まれている。この人以外のいじめ論で、なら最後まで読みとおせたり、テレビなら途中でチャンネルを替えなかったものはほとんどない。論者のあまりの無知さ(と無恥さ)にムカついて

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  • ラッセルの5分前世界創造説の解釈? - たけみたの脱社会学日記

    私・今・そして神 開闢の哲学 (講談社現代新書) 作者: 永井均出版社/メーカー: 講談社発売日: 2004/10/19メディア: 新書購入: 4人 クリック: 30回この商品を含むブログ (102件) を見る永井さん曰く、「そもそも世界そのものが、時間そのものが五分前にできた」、「われわれが知っているつもりの過去がじつはなかっただけではなく、それとは別の当の過去などというものも、なかったことになる」ように「ラッセルをそう解釈することもできるのだ」(p. 22)。 これを読んで、ちょっと混乱してしまう。そう解釈しないでどう解釈するのか、と(だから「宙に浮く」云々の話もいまいちわからんかった――今はわかったが)。 ラッセル曰く、 記憶信念が存在するために、そこで記憶されている出来事が実際に起こったという事実は、論理的に必要ではない。というか、過去それ自体が存在する必要すらない。世界が、5分

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  • ホルスター「社会の道徳」 - たけみたの脱社会学日記

    承前 http://d.hatena.ne.jp/takemita/20070606/p1 来年ルーマンの『社会の道徳』が刊行されるにあたって、編者のホルスター先生が2007年7月10日に同じ題名の報告をしたそうな。サイトに原稿が上がっていたので翻訳してみる(途中)。(粗訳段階なので「である」が多い不格好な文章ですが。) デートレフ・ホルスター 「社会の道徳」 1. 他の社会学者の議論の検討 2. 今日の社会 3. 象徴によって一般化したコミュニケイション媒体 4. サブシステムと道徳 5. 相互行為、組織、社会 ← いまここ 6. 二重偶然性と道徳の必要 7. 価値 8. システム理論のサブ理論としての倫理学 1. 他の社会学者の議論の検討 ある社会の中で、道徳がどんな機能を担っているか。社会学者はこういう問いの立て方をする。これは哲学者には馴染みの薄い発想である。哲学者は、道徳とは何で

    ホルスター「社会の道徳」 - たけみたの脱社会学日記
  • 「システムが存在する」という出発点と、(仮説演繹的ではなく)索出的なシステム理論 - たけみたの脱社会学日記

    Soziale Systeme第1章冒頭の「システムが存在するということから出発する」の意味については、前に論じた。 さてルーマンは抽象的で現実から遊離した空論を唱える学者、というのが大方のイメージだろうが、少なくとも人の自覚は正反対である。デビュー当時からルーマンは「抽象的で現実から遊離した空論」を徹底的に批判してきた。よく言うせりふが「自分のシステム理論は仮設演繹的なものではなくて索出的(ヒューリスティック)なものだ」という言い方である。そして実は、「システムが存在するということから出発する」という言い方は、この立場を明確に表明したものだといえるのだ。 「システムが存在する」の意味は、システム理論が、概念定義や公理の設定などによって「システム」という(「システム」としか呼ばれえない)新しい対象をつくり出すのではなく、(一定の性質を備えた)既存の対象に「システム」という名前を認定するも

    「システムが存在する」という出発点と、(仮説演繹的ではなく)索出的なシステム理論 - たけみたの脱社会学日記
  • 北田暁大『責任と正義』合評会レジュメ - たけみたの脱社会学日記

    責任と正義―リベラリズムの居場所 作者: 北田暁大出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 2003/10メディア: 単行 クリック: 18回この商品を含むブログ (81件) を見るこの書評論文「『責任と正義』の論理」がもう少ししたら出る『書評ソシオロゴス』の2号に掲載されます。昨日校正済み原稿を提出したので、その記念に、この原稿の元になった合評会報告を以下に載せておきます。私がD2のときのものです(いまD5(泣))。2003年12月18日に、東大社会学研究室の言語研究会とロールズ研究会の共催で開いた著者臨席の合評会での報告です。なお、上記書評論文の内容は基的に下記報告に基づいていますが、個々の論点の評価も含めた内容は同じではありませんし、そもそも論文の方は400字詰めで140枚もあります。あと、自分の未熟さについての自覚が口の悪さとして表れていますが、未熟な奴めと笑っていただければ幸

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  • 脱常識化のためには常識が存在しなければならない - たけみたの脱社会学日記

    ルーマンの機能主義の基発想は、比類ないと思われているものに特定観点から見た場合の等価物を対置して、実は比類ある=比較可能であることを示すこと。 ルーマンのシステム理論の基発想は、当はさまざまな可能性の中のひとつでしかないもの、それゆえ実現する確率が低く、つまりは非蓋然的であって当たり前でないものが、どのようにして蓋然的なものと見なされるようになったか、どうやってそれが当たり前になったかを描くこと。 当たり前の方から出発するか、当たり前でない方から出発するかの違いはあっても、当たり前が当は当たり前でないという発想は共通である。言い換えると脱常識化、あるいは反直観的なアプローチである。 さてこのアプローチが有意味なのは、脱常識化されるべき常識が存在する場合、相対化されるべき直観が存在する場合だけである。そしてそれは、常識でも直観でもいいが、そうした当たり前が共有されているということであ

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  • なんでコミュニケイションが社会的システムの要素だといえるの? - たけみたの脱社会学日記

    オートポイエーシスっていうよね。自己生産のことだよ。それも、なんでも自己生産ってことで、だから構造の自己生産しか考えていなかった自己組織化理論より強力で、ターボチャージャー付いてるってルーマン先生も言ってるよ。 なんでもっていうのは、あるシステムに属するものはなんでもってことで、構造以外に、そのシステムそのものも、要素も、なんであれ一単位(Einheit)として数えられるものはなんでもってことだよ。「あるシステムで一単位として扱われるものは、そのシステムによって一単位として構成されないといけない」っていうよ。 で、このオートポイエーシス的な社会的システムの要素は、コミュニケイションなんだって。ルーマン先生がいうには、コミュニケイションていうのは、情報と、その情報を発信する行為と、その行為の理解の3つの選択的な出来事の綜合なんだって。綜合っていうのは別々のものが合わさって一つになるってことだ

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  • 長岡克行『ルーマン/社会の理論の革命』合評会レジュメ - たけみたの脱社会学日記

    2007年1月28日、東京経済大学にて、著者臨席のもと、馬場靖雄さんと一緒に報告。 ルーマン/社会の理論の革命 作者: 長岡克行出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 2006/09/29メディア: 単行購入: 1人 クリック: 9回この商品を含むブログ (73件) を見る 1.総評 感嘆すべきルーマン紹介書 書は、ルーマンの所説を紹介した、著者自身の言い方では「横のものを縦にした紹介書」である。書の特徴は何よりもまずその分量であり、扱っているトピックの包括性であり、それらについてのルーマンの所説の網羅性である。これらの点において類書は書に遠く及ばない。率直に言って評者は、通読して(というか途中から)、「ああもうこれでルーマンを読む必要はないな」と思った。それくらい、「〜についてルーマンはどんなことを言っているか」「〜と言われたらルーマンはどんな返し方をするか」「誰某の議論をルーマ

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  • 複雑性の縮減 - たけみたの脱社会学日記

    http://d.hatena.ne.jp/takemita/20070423/p1 「責任者」が出てきたのでw。 「複雑性の縮減」については、現実と、一定の仮説からの演繹の間のギャップを埋めるものである点が重要です。「ほんとは」これこれこんだけの可能性があるはずなのに、「実際は」そんな可能性は意識化していない。なぜだろう。あ、これが複雑性を縮減しているからだ。みたいな。 なので、山奥と都市という、どちらも現実からの事例では、例示にならないわけです。都市なら都市で、都市にはいろんな人がいて、誰かわからん人と毎日接している。ほんとはコンビニでレジを打っているこいつも、俺の後ろに並んでいるこいつも、やばいやつかもしれないのに、そんなことは考えないでよくなっている。なぜだろう。あ、○○によって複雑性が縮減されているからだ。やったー!みたいな例が適切かと思います。 ちなみに、このような「問題の発見

    複雑性の縮減 - たけみたの脱社会学日記
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