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2011年8月28日のブックマーク (2件)

  • 大衆教育社会と/の教育改革――苅谷剛彦『教育と平等』(中公新書)を中心に - もどきの部屋 education, sociology, history

    昨日、越後湯沢にて、拙稿「個性化教育の可能性――愛知県東浦町の教育実践の系譜から」(宮寺晃夫(編)『再検討 教育機会の平等』岩波書店、所収)を参考文献に指定させていただいたうえで、苅谷剛彦『教育と平等』(中公新書、2009年)を中心とした苅谷的な戦後日教育史像=大衆教育社会論とそのもとで展開した90年代以降の教育改革を考えるセッションを開催し、話題提供を行った。 題目は「大衆教育社会と/の教育改革――苅谷剛彦『教育と平等』(中公新書)を中心に」である。 もちろん、苅谷先生じきじきのご参加もあり、夜中までかけてエンドレス議論を繰り広げたわけである(途中から、というか最初から飲み会モード全開であったという事実は伏せておくことにしよう)。 上記の拙稿は『教育と平等』ですでに苅谷先生が論じている問題を参照しながらも、明らかに、さしあたりそれを等閑に付し、あえてそこから教育実践レベル(書の言葉で

    大衆教育社会と/の教育改革――苅谷剛彦『教育と平等』(中公新書)を中心に - もどきの部屋 education, sociology, history
  • 新自由主義は社民主義? - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    もちろん、一般的には、あるいは世界共通に、新自由主義と社会民主主義は対立関係にあります。 それでは、なぜ、具体的な労働政策論において、 >八代先生は新自由主義、濱口先生は欧州型社会民主主義の立場と基的な思想の違いはあるが、労働経済分野での意見についてはかなりの部分合致するのではないかと思っている。 ということになるのか、まあ、わたくしが欧州型社会民主主義の代表みたいな顔をすると、怒り心頭に発する人もいるかも知れませんが、それはとりあえずおいておいて、対立する思想が政策論でなぜ接近するのかを説明せよ、と詰め寄る人が出てくるかも知れません。 実は、書自体がそれをよく説明しています。まえがきの文章から引用すると、 >問題なのは市場競争の行き過ぎではなく、それと対になるべき、政府による生活の安全網(セーフティネット)の構築が不十分だったことである。企業が従業員とその家族の生活を守り、その企業を

    新自由主義は社民主義? - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)