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赤玉先生に関するnamgenのブックマーク (3)

  • 薄曇り - finalventの日記

    昨晩、気になることを調べていていささか就寝時間が遅れ、おかげで寝坊した。ああ、そのわりに深夜の暴風の音を聞いていたから眠りは浅かったか。明け方、ぼんやりとふつふつとわいてくる記憶を見ていた。母親の実家の縁側の籐椅子を思い出した。不思議な気がした。いろんなものが記憶に埋まっているのか。ときおり、嗅覚と連想されて不思議な思い出が蘇ることはある。なんのために記憶を溜め込み、そしてそれを放出してこの世を去っていかなくてはならないのだろう。とか、人生モードで考えると、つい「愛」とも連想する。愛も、長く生きてくるとというか50歳も超えると、一つには記憶になる。別の面では、ああ、愛とはこういうものであったかと思うこともある。▼世間は連休になるらしい、ということは明日も休日か。お彼岸である。和菓子にはお萩(ぼた)が売っていて、好みの胡桃餡を買った。美味しいなと思う。魚屋によって少しばかり背徳の思いを隠し

    薄曇り - finalventの日記
  • 曇り - finalventの日記

    天気予報では雪とあり、外に出てみると、霧雨のようでもある。昨日、Twitterで沈丁花の匂いの話があり、そういえば私も感じたなと、つぶやく。ミツマタも咲いてましたよとレスをもらう。ミツマタか。あれも美しいものだなと思う。ミツマタといえば、コウゾ・ミツマタと言葉が浮かぶ。今の子どもたちにわかるかなとふと思う。だんだん、自分の心が老人になっていくのだが、そういう意味での心の老化というのは自然的なのかもしれない。私は、人にものを教えるということのアンビバレンツをついに克服できない。私はおそらくいわゆる教え魔の部類だが、愛情と根気と自信に欠ける。つまり、社会的によくないタイプの人間である、という自覚はある。だが、これがねじれて出てくる。私は、これも失笑を買うのかもしれないが、自分ではたいした頭ではないし、知識はないなと自覚している。だったら、なにも言うなよということではあるのだが、適当な距離で、ぼ

    曇り - finalventの日記
  • 意図的に女性をふったことはなかったように思うが - finalventの日記

    見捨てられるように捨てられたことはあったか。まあ、どっちかというとあった。まあ、それは私の世代でいうとすべて25歳には終わる物語だった。彼女はクリスマスケーキさみたいな。 でも、ぽっつりと残された私は、え?俺、30歳? とか愕然としたものだった。あのころ、「30歳になった日」という短編小説を書いた。実家のどこかにあるかもと思ったが、先日整理して見つからず。見つけたくもないし、ストーリーらしいストーリーもない。 それから先は、見捨てられたみたいな強い関係の前にフィルターアウトかな。なんかそういうのが何枚何枚も薄い紙を束ねたようにあったような気がするが、もうよく思い出せないし、いつのまにかそういうものに慣れた。幸いにしてというか、救いようがないなだが、身体的な関係性に深めることなかった。はてなーの中心世代(あるとして)若いからかその手の話題が多いが、身体的な関係性の有無というのは両義的だ。その

    意図的に女性をふったことはなかったように思うが - finalventの日記
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