所詮一人の人間の限られた関心に基づく振る舞いだからか、異なる分野を周遊していて、通底する音を聞くことがある。 もちろん、日本だのエチオピアだのという国の歴史がやや古いところでは、すぐに古典文化といって五百年、千年の昔を問題にして、近い大切な伝統を飛び越えてものを考える癖はだれでも大なり小なりあるものですが、老人性健忘症は遠い記憶ほどはっきりしているといいますから、中学校の国語科で古典教育をもっと重視しよう、というふうな議論がぶりかえしているらしいと聞くと、いよいよ日本の近代社会も老衰症状かと考え込まされます。『徒然草』だの『平家物語』だの、『万葉集』についての知識がいくらかあり、自分が直接荷っている近代百年の文化について、芸術やことばについてまるで知らず、遠近法が逆転した人間を作る教育なんていうものは、いたずらに古い家の由緒をまくしたてる、プライドばかりで腕になんの技術もついていない、旧家