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2009年8月25日のブックマーク (2件)

  • 堕落と風景の破壊 - 記憶の彼方へ

    辺見庸による渾身のチェット・ベイカー論「甘美な極悪、愛なき神性」の中の言葉。 ああ、人はここまで堕ちることができるのか。にもかかわらず、いや、だからこそ、ここまで深くうたえるのか……。 (辺見庸『美と破局』毎日新聞社、2009年、18頁、asin:4620318000) 藤原新也にとってインドの旅は、世界を風景化、光景化してしまう文明の傲慢な視点を壊す働きをした。彼は、風景や光景、景色をそういうものとして成り立たせる、すでに疎外され虚勢され乾涸びた精神が、風景以前の荒々しくも美しい自然、大地と風、花と蝶に急速に接近して行き、そこで、そのなかで、大地そのもの、風そのもの、花や蝶そのものに「成る」境域に触れる。 彼らの肉体は、風景という形式の中に組み込まれた小さな立木のように、風が吹けば、その風の吹くように、ふところを開けて通してやるのであって、ことさら風をさえぎるわけではない。風の吹く間、彼

    堕落と風景の破壊 - 記憶の彼方へ
  • あんた、フリーかい - 記憶の彼方へ

    毎朝撮らせてもらっているダリアの写真を数枚一度届けてからは、塚さんは出会うたびに渋い笑顔で感謝の短い言葉をかけてくれるようになった。そして大抵育てている花や野菜、それから椎間板ヘルニアの話になる。私のように散歩できるのが羨ましいとこぼす。今朝は、それだけでなく、「毎朝写真撮って歩いてるけど、あんた、フリーかい?」と聞かれた。フリーの意味に一瞬戸惑ったが、「そんなとこですが、これでも、一応、働いてます」と答えた。Bさんはそれでは納得しない疑いの表情を浮かべた。「まだ夏休みなんです」と付け加えると、納得した様子で、「ガッコーカンケーか、、。もう、てっきりフリー(引退の意味)かと思ったよ」と言って、ご人もこの三月までは学校関係の仕事をしていたが、もう止めた、さばさばしたと言って、茄子の育ち具合をチェックしはじめた。とまれ、私は「フリー(自由)」と見られたことが、どこかこそばゆくも嬉しかった。

    あんた、フリーかい - 記憶の彼方へ