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pfaelzerweinに関するnamgenのブックマーク (10)

  • 八割ほどは、本当かな - Wein, Weib und Gesang

    ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546) 昨晩は久しぶりに飲んだ。日は体に酒が残っていた。それでも悪酔いをしていなかったのは、ある基準以上のワインだったからであろう。しかし試飲会ではなくあくまでもTVシリーズの試写会パーティーだったので、それほど印象に残るワインなどはなかった。 こうした農業関係者が集う場所に出て、そうした人々を映し出す番組を試写すると、農業に無関係に過ごしている我々にとってはやはり違う関心が湧いてくるのである。ビオとかエコとか自給自足だとかの掛け声の下に議論されているようなことが如何に質に迫らないかが分かってくるのである。なにも、それだから農民の傍に立っているというのではない。 昨晩の話題で特に関連しないことを幾つか羅列してみる。そこには全体像が浮かび上がるのだが、まさに禅のように思想でも思潮でもな

    八割ほどは、本当かな - Wein, Weib und Gesang
  • バカヤロー新学期を迎える - Wein, Weib und Gesang

    ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546) 一泊二日の旅行中に帽子を忘れた。何処に忘れたかは検討がついているが、取りに帰ることも、送らせることもしない。この帽子を買ったのは去年の五月の事と記している。大分使ったので汚れていた。そのためか諦めるのも早かった。何か潮時と感じたのも事実なのだ。 その間の自らに付き纏う様々な進展を考えれば色々な意味で「一区切り」ついているのは明白なので、なにか次ぎの段階を迎えたような、それは丁度新調品を下ろすときの気持ちに似ているのである。 さていよいよ新学期である。今年高等教育に進学した数は史上最高で、バカロレア試験第一次世代となるらしい。米国やその影響を受けた国々のように高学歴社会になるとますますその程度が下がっていき、欧州特有の専門家が減り、頭を取り代えて誰でもが身代わりに入れる社会になるの

    バカヤロー新学期を迎える - Wein, Weib und Gesang
  • 起死回生への自転車行脚 - Wein, Weib und Gesang

    ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546) 明日は街道筋が自転車解放になる日である。車の通行が出来なくなるのでその前にパンを取りに行って歩ければと思っている。同じようなパン屋の支店が違う町に出来たのだが「少し遠く森がないので意味がないかな」と人に言うと、「歩いて行けばいいじゃない。六キロぐらいしかない筈よ」と言われた。なるほどあの方向なら殆どがワインの地所であるので歩きやすい。一時間で往復出来る。平地だから走ればもっと早い。 自転車と言えば、日の政権交代について選挙戦の様子を伝える中に自転車選挙について触れられている。自転車選挙を始めたのは横山ノックだと思うが今やなかなか面白い事象として世界で伝えられている。なるほど車を使わずに自転車で有権者の中に入って行くのは良いアイデアだ。きっと明日もドイツワイン街道を走る代議士候補

    起死回生への自転車行脚 - Wein, Weib und Gesang
  • 三十路女の手練手管に感心 - Wein, Weib und Gesang

    ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546) 近所の女に迫られた。残念ながらドイツ女性はフランス女性ではないので鼻を鳴らしてやって来ない。それの良し悪しは相手次第で何とも言えないが、今日のはまた風変わりだった。 訪問者があったので察しがついて玄関へ降りていくと、スクエアーから男と女の話し声がするではないか。これはおかしいと思って、なにか面倒な事で無ければ良いがと思って玄関を出ると予想通りの訪問者が居て安堵した。そして、その後ろに隠れていた女が一人近づいてきて唐突に挨拶をはじめる。 そう言えば昨日だかに隣のガレージから車を出し入れしていた女に会釈したのだった。どうもその女だったようだ。彼女は言う。 「私、もうここに引っ越してきて四半年経つのよ、今までお会いしなかったね」 「ああ、そう。一体何時から?」 「ほら、ここの名札書いて

    三十路女の手練手管に感心 - Wein, Weib und Gesang
    namgen
    namgen 2009/07/08
    コンチキショーかな。
  • 同じ側の人と錯覚する民 - Wein, Weib und Gesang

    ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546) 麻生首相のFAZ単独インタヴューを読んだ。自民党長期政権の幕引き役として、世継ぎ政治家の代表として、世間の厳しい目を浴びる政治家として、小泉に比べても比較的登場回数の多い日政治家である。恐らく取り巻きに旧在独大使などの外交官が少なくないのであろう。 それは、漫画知能の大人と呼ばれ言葉を知らない筈の麻生太郎が大変立派過ぎるインタヴューをこなしている事で確信した。一部の隙もない受け応えである。この政治家はあまり知らないので何とも言えないが、日での一般の報道に見る漫画馬鹿とは大分違う。 FAZにおいて、大事件を、特に外交問題や世界的な災いを舞台として、なんとか敗戦決定ムードの自由民主党を救うスタンドプレーをしたい首相とされているが、それを今回は北鮮への制裁を軸に展開しているのを紹

    同じ側の人と錯覚する民 - Wein, Weib und Gesang
  • 若き芸術家の癌病闘日記 - Wein, Weib und Gesang

    ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546) ここで紹介したクリストフ・シュリンゲンジーフ著「天国も、これほど素晴らしい筈がない!」の前半部の感想だけでも書き留めておこう。読み返して細部を読み直すような書体でも内容でもないからだ。日記として書かれているから当然なのかも知れない。 就寝前や昼寝の時にちらちらと読むようなであるが、殆ど倒れるように寝床へと向う生活をしているので、購入してから一月ほど経つがいまやっとその書き様が分かってきた。 肺に腫瘍が見つかってから、それが悪性の疑いあるものとして、結局は片肺が除去されてICUから普通病棟へと戻るまでの日々が前半として描かれている。 不安や疑心暗鬼と揺れ動く心理状態がそこに赤裸々に描かれているのだから、なにも目新しいものは見付らない。しかしこの書物を売りものにしているのは、舞台映

    若き芸術家の癌病闘日記 - Wein, Weib und Gesang
  • 弾けた太鼓腹の皮の行方 - Wein, Weib und Gesang

    ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546) トイレにしゃがんで愕然とした。裸の下腹部のわき腹に脂肪が垂れているのである。最近身体を締めて来ていて、初めて気がついた。それはなぜなのか? おそらく、今までは太鼓腹の張りの中に腹筋も脂肪も隠されていたのだろう。それが、皮下脂肪だけが引き離されたようになって、脇によっているのである。これならば、ヴァイブレーションや脂肪揉みで直ぐに取れそうである。 そこで更に推測すると、もし脂肪が取れて仕舞ったら、腹筋が割れてむきむきとなるのではないか?すると緩んだ皮はどうなるのかと心配になる。 筋肉を極限まで使うようになって内臓脂肪が激減しているのは、内臓の働きなどが好転しているのを見て、なんとなく感じられている。 さて、今世紀に入ってからのダイエット生活では、皮下脂肪は押さえられたのだが、その結

    弾けた太鼓腹の皮の行方 - Wein, Weib und Gesang
  • 誘われて、困っちゃうな - Wein, Weib und Gesang

    ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546) 床屋に行って、サマーカットにした。これで老女にもてる可愛さは薄れたが、さて男っぽさで若い子を魅了できるだろうか? 若いBASFの労働者諸君に、石切り場でお相手をした。子供のお相手よりは良いのかもしれないが、息を切らして腕力や体格で登る初心者連中を見ていると少し情けない。そして此方は全くその程度では息が上がらなくなってしまった。 腕力で処せると思っていると幾らやっても進歩がないだろう。彼らの特徴は手掛かりを上に求めることから重心が高くなり、臍を中心とした腹筋から背筋などへの張りがないため、足元が安定しないばかりか身体に様々な力のモーションを与えることが出来ない。実は、オーヴァーハングの素手登りを得意としている29年歴の上級者が話していた、「体の内側への巻き込み」への言及がそのことを

    誘われて、困っちゃうな - Wein, Weib und Gesang
  • 史実に立つ頭打ちシナの現実 - Wein, Weib und Gesang

    ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546) ジョン・ラーベのことが記事となっている。同じ史実に纏わる二つの映画中国での大反響をマルク・ジーモンスが伝えている。片や未だ嘗てないドイツ映画の成功であり、片や中国商業映画史上最大の成功作品なのである。 特に目新しい面はないようだが、中華作品「南京、南京」の内容にも触れており、両作品のトレーラーなどを纏めてネット掲載してあるので便利である。 それによると中華作品では大日帝国陸軍の兵隊の目で描かれる小型カメラ視線での情景が少なくないようで、虐殺を加害者の人間的目で描いているらしい。 これで思い出すのは、朝日新聞などが田中角栄の金脈外交によってなされた日中国交回復時に取ったような中日人民の友好的関係の視線なのである。「罪を憎んで人を憎まず」と言うか、何一つ意味を齎さない「人類兄弟、

    史実に立つ頭打ちシナの現実 - Wein, Weib und Gesang
  • シネマよりもテアタァーだー - Wein, Weib und Gesang

    ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546) フランインスハイムを見学した際、芝居を観た。芝居と言っても町の壁の小さなカジノ塔の中にあるとても小さな「テアタァー」の一人芝居である。出し物は、ロンドンの貧しい12歳の少女が海賊として成功する子供向けのメルヘンであって、就学前の子供達に混じって時節柄大人達にも楽しめる内容であった。 二十人そこそこしか観れない、室内劇場と言うよりも家庭劇場の大きさなのだが、今回はマストあり船首ありのなかなか気の利いた具象的な舞台装置が良かった。芝居自体は、もぎり、バーテン、子守を旦那に任せた奥さんの芝居であるが、台詞は朗読のように十分聞かせ、客席との受け渡しも見事で、一時間ほどの長丁場を子供達に飽き指せない手腕は見事であった。 ベルリンの文化大臣などはPISA試験の低調を子供への劇場通いで補おうと

    シネマよりもテアタァーだー - Wein, Weib und Gesang
    namgen
    namgen 2009/04/26
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