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ブックマーク / kasasora.hatenablog.com (62)

  • わたしの弟はワクチンを打たない - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。最初の通達から一年あまり、何度目かの通達のさなか、疫病のワクチンが提供されはじめた。それで全員が打つかといえば、そうではない。わたしの弟は打たないという。そして、わたしはそれを責めることができない。 弟は東京で一人暮らしをして、アルバイトで生計を立てている。今日働かなければ来月の家賃があやうい。運も悪かったし、弟の思慮が足りないところもあったと思うのだけれど、とりあえず自分で生活はできているのだし、人に大きな迷惑をかけているわけでもなし、責められるようなことではない。 わたしはそう思っているのだが、両親は「恥だ」と思っている。自分たちの助言をふいにして大学進学をせず、夢みたいなことを言っておかしな企業に就職してすぐに辞めてその日暮らしをしている、そんな浅はかな息子は心配するのも癪だと、そういうふうに思っている。 そうはい

    わたしの弟はワクチンを打たない - 傘をひらいて、空を
    namisk
    namisk 2021/08/25
    “疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。” ああ、ずっとこの書き出しのシリーズを続けてるのか。
  • まろやかな地獄 - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているので不要不急の外出が禁じられた。職場においてもできるかぎりのリモートワークが推奨されたが、ものには限度がある。「不要不急」の範囲は感染状況だけでなく政治的な要因で拡大縮小され、さらにそれを「忖度」した人々が他者を監視し、ときに私刑ともいえる行為に至る。まろやかな地獄、とわたしは思う。 わたしの勤務先で解釈されている現在の「不要不急」度は隔日出社なら良い、というものである。根拠はとくにない。雰囲気である。まわりを見て決めている。魚の群れみたいなものだ。でも先頭の魚は見えない。 弊社における隔日出社というのは、全社員の出社を平均で半分にするというものである。全員が隔日で出社するという意味ではない。なにしろ外向けに「隔日出社しています」と示すことのほうが大切なので、社員ひとりひとりの労働形態までは気が回らないのだろう。いち管理職のわたしの目からはそのように見える。 そうなると当

    まろやかな地獄 - 傘をひらいて、空を
    namisk
    namisk 2020/07/01
  • そしてわたしは嘘をつく - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているので不要不急の外出が禁じられた。しかしながら引っ越しはいまだ認められている。「要」で「急」であるという審査を通るかぎりにおいて。具体的には労働もしくは「家族」の要請するかぎりにおいて。 この社会は第一に自助、それから血縁・法律婚家族の「絆」で回っている。真実天涯孤独であるならその証明書を出せばしかるべき機関が(ゲットーとあだ名されている)指定住宅を提供する。「福祉」である。疫病が流行しているこの非常事態において許される私用の引っ越しは、家庭の結成と解散、または「福祉」を要するケースのみである。 わたしの引っ越しは政府の定義における不要不急でない。この国家がこの事態において容認するものではない。わたしは女で、女と暮らしたいのである。 そんなだからわたしは芝居を打った。わたしは一緒に暮らしたい女を「緊急連絡先の姉」とし、そうして同世代の男の友人を「結婚する予定の人」として連れ

    そしてわたしは嘘をつく - 傘をひらいて、空を
    namisk
    namisk 2020/06/17
  • 僕の運命の男 - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているので不要不急の外出が禁じられた。だから僕は僕の運命の男に会うことはもうないのだろうと思う。 色恋沙汰の話ではない。彼は僕の高校の同級生で、特段に親しいというのでもない。差し向かいで話したのは数えて十回ばかりである。でもその機会の多くが偶然を内包していて、やたらとドラマティックだった。具体的に言うと、話をしたのがぜんぶ旅先だった。僕の当時の彼女がそれをおもしろがり、「きみの運命の男」と名づけて、僕もそれを気に入ったのである。運命ということばだけが大仰な、実のところ些末な、どうということもない話。 高校が同じでもクラスがちがうと話をすることもない。僕と彼もそうで、最初に話したのはシドニーでのことである。高校に選抜枠があった夏休みの語学プログラムでのことだった。僕は彼に好感を持ったけれど、語学研修中に日人同士でつるんでもろくなことはないので、意識して二度しか話さなかった。 若

    僕の運命の男 - 傘をひらいて、空を
    namisk
    namisk 2020/06/09
    わりと好き。
  • 虚構を発注する - 傘をひらいて、空を

    待ち合わせの駅前で降りると友人がいる。近づくと「半分くらいいる」という印象である。存在感がない。気配が茫漠としている。あいまいな微笑を浮かべ、あいまいにあいさつする。よく言えば棘がない、悪く言えば覇気がない。いつもは覇気がありすぎて長時間一緒にいるとちょっと疲れるので、これくらいでもOKじゃないかなと私は思うんだけれど、人はふだんできることもできなくて困る、と言う。 友人はぽつぽつと話す。休日をまる一日、ベッドで何もせずに過ごした。仕事は最低限しかできていない。仕事がらみの勉強はほぼ停止している。賑やかな場所に行く約束はみんな断った。インターネット経由ですらコミュニケーションが負担になるのでSNSのアプリはみんな削除した。どうせまた入れるんだろうけど。 そうかいと私はこたえる。休日ずっとベッドでぐだぐだしているなんて私には日常のことで、一日どころか休みが二日あれば二日そうしているのだし、

    虚構を発注する - 傘をひらいて、空を
    namisk
    namisk 2020/03/31
    特殊なセラピーと当たり前の友情
  • 不要不急の唇 - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。わたしたちは必要なものを買いに行くふりをして外出した。わたしと彼の給与の財源はともに税金である。だからわたしたちは行儀よくしていなくてはならない。そうでないと職場に苦情がいく。 近所にはわたしと彼の職業の詳細を知る人が幾人もいる。だからわたしは「市民感情」において満点をたたき出す役人でいなければならず、彼は「生徒の模範となる」教師のようにふるまわなければならない。いつも。わたしたちの素性を知る人の目があるところでは、二十四時間、いつでも。 わたしたちはガーゼマスクをつける。わたしたちは手をつながず、あまりくっつきすぎないように気をつけながら歩く。わたしたちは公共の場で失礼にならない程度の、しかし華美ではない服を着ている。どこの家庭にも必要な買い出しのためだけに外出していると、誰が見てもそう思ってくれるだろう。 でもわたし

    不要不急の唇 - 傘をひらいて、空を
  • だからその上に薔薇を - 傘をひらいて、空を

    1992年11月26日、14歳の少女Aさんが実父Bさんを椅子で殴打した。Bさんは脳震盪により一時意識を失い、軽傷を負った。Bさんが倒れた直後、Aさんの実母CさんがAさんの後頭部を掴み顔を壁に複数回たたきつけた。Aさんは前歯8を損傷、その他の軽傷を負った。Aさんは直後に110番通報、「実父からの性的加害を防止するために椅子で殴った」「実母は実父に逆らった自分に激高して自分の顔面その他を壁にたたきつけた」と供述した。AさんBさんの双方に殺人の意思はなかったとされている。 「ありふれたニュースだよ」。のちの元少女Aさんは言った。「だから誰も覚えていないでしょう」。 わたしたちの平和な大学で、彼女はものすごく目立っていた。髪はまだらな坊主、前歯がなく、左頬に大きな傷があった。それから頻繁に顔や首に蕁麻疹を浮き立たせ、まぶたや手足をしょちゅう痙攣させていた。教員は全員その状態をきれいに無視ししてい

    だからその上に薔薇を - 傘をひらいて、空を
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    namisk 2019/11/27
    強い。
  • 知らないなんて許せない - 傘をひらいて、空を

    ソーシャルメディアをぜんぶ閉じた。ものを書いたときの通知に使用するSNSアカウントを一つ残したが、そこでも一切の相互性を排除した。誰もフォローしない。リプライはしないし、見ない。シェアや「いいね」はもとよりほとんどしないが、徹底してゼロにする。 インターネットで文章を書いて十数年になる。書いているのはフィクション、それから人が書いたフィクションに対する感想文である。ふだんはコメント欄のないブログで延々と書いている。たまに注文原稿の依頼が来る。注文に沿うように努力をするが、いつも注文どおりに書けるのではないし(あきらかに書けない内容の依頼だと辞退する)、しょっちゅう依頼があるのでもない。だから私はプロではない。基的には自分のために無料の文章を大量に書いている愉快なアマチュアである。 私は社交をしないのではない。インターネットでもいい文章を見たら賞賛の感想文を書いてアップロードして人にUR

    知らないなんて許せない - 傘をひらいて、空を
    namisk
    namisk 2019/06/02
    こういう作風の人にわざわざ個人的なコミュニケーションを強要する人って、作品から何も読みとってないのでは・・・。
  • ロマンスのセンサー - 傘をひらいて、空を

    友人が双子を産んだのでよく見にいく。子どもというのは見ていておもしろいものなので、他の友人も一緒に寄ってたかって子どもをかまっている。子のある者は子を他人と遊ばせることができ、子のない者は物珍しくて嬉しい。一挙両得である。 双子はこのあいだ三歳になった。男の子たちである。二卵性だから顔は少しちがう。からだの大きさは、二歳になるくらいまでは弟が少し小さかったけれども、完全に追いついた。出生直後からいろんな人間に囲まれて育ったせいか、まるで人見知りをしない。赤ん坊の時分から、あきらかに保護者でない人間にごはんを差し出され、おむつを取り替えられ、抱き上げられ、「まあいいか」というような顔をしていた(そしてときどき思い出したように親の姿を探して泣いた)。社交的な子どもたちである。 そんなだから彼らは三歳にしてよその大人たちを個別具体的に認知している。私のことは「さやかさん」と呼ぶ。どこに住んでいて

    ロマンスのセンサー - 傘をひらいて、空を
  • なんでも上手な女の子 - 傘をひらいて、空を

    気を遣われていると思って緊張するとしたら、その相手は気を遣うことが上手ではない。もしかしてあれもこれも気遣いだったのではないかと思ったときにはもうだいぶ会話が進んでいる、それが上手な気遣いというものである。今日はそうだった。一対一で話すのがはじめての場で、もう一時間半経っている。やばい、と私は思う。若い人が気を遣っていることに気づかなかった。年長者として反省しなければならない。 なんでも上手なのが良いかといえば、そうではない。外交や商談ならともかく、個人と個人の人間関係なんだから、あんまり上手に気遣いをされては困る。私は上手に気を遣うことができない。したいんだけれども、どうもうまくない。私だけ下手なのはしんどい。だからみんなにもほどほどであってほしいと思う。 そのような私の都合とはうらはらに、ある種の人々は空気を吸うように気を遣う。目の前の若い女性もそうだ。気の利いた会話をしながら適度に

    なんでも上手な女の子 - 傘をひらいて、空を
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    namisk 2018/02/03
    その子、仲良くなりたくて頑張ったんじゃないかな?
  • やさしさを集める - 傘をひらいて、空を

    新聞を読む。正確には、めくる。読むのは一部だ。見出しに目をとめる。文章の全体を視界に入れる。二秒あれば自分に必要な記事かそうでないかがわかる。この作業をはじめて二年目、われながら手慣れたものだ。わたしはそれを読む。わたしははさみを手に取る。わたしはそれを切り取る。「十二歳も十四歳も信じよう」。作家のコラム。子どもによる殺人事件を受けて、年齢で区切った名付けをするべきではないという内容。わたしも十四歳だ。何冊目かのファイルはすでに厚くふくれあがってごわごわしている。わたしは新聞のインクのついた指をぬぐい、それからベッドに横たわる。ファイルを胸の上に置く。新聞記事、ときどき雑誌の記事、たくさんあってうれしい。 わたしはやさしさについて考えていた。ずっと考えていた。いつからか覚えていない。やさしいというのはごはんを作ってくれることではない、とわたしは思った。十歳くらいだったと思う。やさしいという

    やさしさを集める - 傘をひらいて、空を
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    namisk 2017/12/28
    なんでか泣きたくなった。
  • 好都合な不自由 - 傘をひらいて、空を

    もう誰か決めてよお、わたしに向いてる仕事、勝手に決めてくれていいから、すごいAIとかが決めてくれたら、その仕事、大人しくやるからさあ。彼女はそう言い、みんなが笑った。私はあんまり笑えずに、いやいやいや、と冗談めかして発言した。それ地獄だから、SF映画とかでさんざん描かれてきた人類最悪の未来だから。 ぜんぜん最悪じゃないしわたしには最高ですよ。彼女はそう言う。私の半分弱の年齢の大学生である。私は母校に依頼され、卒業生として学生たちの就職相談に乗った。母校の企画の趣旨により、その場にいるのは女子学生と女の卒業生ばかりだった。終わってから非公式のお茶会に流れて、出てきたせりふが「誰か仕事決めてほしい」。就職活動に疲れたのはわかったけれども、その発想はないだろう、と思う。 人生は自由を勝ち取る戦いの連続であり、職業選択の自由なんて自由のなかでもいちばん基的なやつだ。誰かに職を決めつけられるくらい

    好都合な不自由 - 傘をひらいて、空を
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    namisk 2017/10/28
    最後の段落まで読んでゾッとした。ここまで考えが至っていなかった。“いやだな、と私は、もう一度思う。そんなのに慣れたら、次は「適切な選択肢」の、その適切さの基準まで、誰かにあずけたくなるにちがいない。”
  • おばさんたちのいたところ - 傘をひらいて、空を

    アルバムを見ると、未熟児のための治療室から出て間もないころから、母親でないおばさんたちが、代わる代わる僕(だという気はしない脆弱そうな子)を抱いて、ばかみたいに大きな笑顔で写真におさまっている。おばさんたちは野太いものからかぼそいものまでさまざまの腕に僕と年子の兄の幼い日の姿を抱え、僕らきょうだいが小学校を出るあたりまで、なにかというと写真に写りこんでいる。誕生日、旅行、バーベキューやキャンプ、クリスマスだのハロウィンだのと理由をつけて集まっていたホームパーティ。 父は内気で無口な人で、僕と兄の幼いころには、いつも夜のおぼろな記憶の、あるいは母の留守居の姿であって、眉根を寄せた笑顔をしている。父はおろおろと僕らをあやし、僕らは元気にだだをこねた。父はうまく僕らを叱らなかった。僕らを叱るのは母と「おばさんたち」だった。 「おばさん」の筆頭にして代表は芙蓉ちゃんだった。芙蓉という名でフユと読む

    おばさんたちのいたところ - 傘をひらいて、空を
    namisk
    namisk 2017/09/13
  • 何もかもを捨てるための具体的な方法 - 傘をひらいて、空を

    なにもかもがいやになった。 私はもとより性格が暗く、わりとしょっちゅう「ああ何もかもがいやだ」と思う。時間が経つと「やっぱり何もかもがいやなのではない」と思い返す。定期的にそれを繰りかえす。もう飽きるほど繰りかえしているので、々とした気分がやってくると「また君か」と思う。人生は刺激的な冒険であると同時に、平均寿命の半分も過ぎないうちに飽きてしまうルーティンワークでもある。鏡を見れば同じ顔しか出てこない。中身も知れている。そりゃあ、ときどきは「何もかもがいやだ」という気分にもなる。ずっといやになっていないだけ立派なものである。 そんなときには小屋のことを考える。小屋は伊豆半島の、人がたくさん来ない側にあって、海に流れ込む直前のきれいな川のほとりに建っている。山あいだけれども、人里離れているというほどではない。隣の敷地は畑で、その向こうには人が住んでいる。私はその小屋を使うことができる。小屋

    何もかもを捨てるための具体的な方法 - 傘をひらいて、空を
    namisk
    namisk 2017/07/22
    分かる。たぶん似たようなことを考えて乗り切ってるときが私もある。
  • 美しいものはいつでも遠い - 傘をひらいて、空を

    梅雨だからといって四六時中雨が降っているのではない。今は雨が洗い流したあとに陽の差している美しい午前で、窓の外のごみごみした風景でさえ、内側から発光しているように見える。目の前の景色なのに遠いところのように見える。美しいものはなぜだか遠くにあるように感じられる。すぐに落とすから、化粧は日焼け止め程度にする。ヒールのないサンダルを履く。 自宅を出る。はす向かいの建物の外階段に青年がふたり座っている。今日は平日だけれど、言うまでもなく、平日に働いている人間ばかりでこの世ができているのではない。青年たちは飲みものを片手に笑顔で語らっている。彼らの視界にわたしが入る。彼らはちょっと首をのばしてわたしを見る。わたしは軽く会釈する。ひとりが会釈をかえす。はす向かいの建物はタイル張りも愛らしい古い個人住宅で、しばらく人の気配がなかった。新しい住民が入ったのだろう。わたしは歩く。角を曲がるとにぎやかな外国

    美しいものはいつでも遠い - 傘をひらいて、空を
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    namisk 2017/06/19
    "美しい者だけが好きな格好をしていいなんて法があるか、あの子の言うことはむちゃくちゃだ。妻はそう言って怒っていたが、わたしは腹が立たなかった。親の醜いところを見たくないというのはある種の愛情である。"
  • 義務と娯楽 - 傘をひらいて、空を

    お疲れ、と言う。つかれた、と彼女は言う。教科書どおりの膝下の礼服を着て二重のパールのネックレスをさげ(一重でないのは弔事でなく慶事であるというコードのひとつだ)、よく見れば生け花としてはやや前衛的に配した生花を胸につけている。 そのコサージュ、かっこいいね。生花みたいに見えるけど、ツヤ感からするとそうではないみたい。私が言うと、この世のコサージュは九割、だせえ、と彼女はつぶやく。でも式典でアクセサリーが足りないと「先生、もう少し華やかにしてくださいね」とか文句言われるじゃんか。慶弔両用の服だからよけいに。両方買いたくねえよ、だりい。しょうがないから自分で無難かつ許せるデザインで束ねたのを友だちに教わって加工したんだよ。この花はもう死んでる、完全に死んでる、生花に見えたらならマキノの目は相変わらず節穴だな、昔から、あんたは、目が悪い、生きてる花は汁とか出るし式典のあいだに萎れるじゃん、だから

    義務と娯楽 - 傘をひらいて、空を
    namisk
    namisk 2017/04/07
    最後の方のセリフがすき。
  • 前菜のない人生の話 - 傘をひらいて、空を

    仕事で知りあった人が自分のプライベートについて話すのはおおむね、好意のあらわれである。自己開示というやつだ。まれに「もう黙れ」という意味をこめた開示もあるが、継続的に楽しげに自分について話すのはだいたい好意によるものだ。伴侶の話だとか、子の話だとか、年齢によっては孫の話だとか、あるいは近ごろの恋人や親しい友人の話だとか。そういう話をする合間には、信条、能力、具体的な価値判断など、無難ではない話題も出てくる。そのようにいろいろな話題を共有する相手を友人と呼ぶのだとわたしは思う。 目の前の女性は聡明で魅力的な人だ。手足が人形めいて長く、なかでも指の美しさときたら格別で、かぼそいのに力強く、神経がいきとどいている。シャープな印象に比して輪郭や目はまるくて可愛い(胴体だってみんな褒めるんだろうけど、わたしは、肩幅も胸も腰も薄い、いわゆるモデル体型を個人的に好きではない)。 彼女は知り合って一年のあ

    前菜のない人生の話 - 傘をひらいて、空を
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    namisk 2017/04/05
    カサヲさん、バイなのかな。なんか納得感ある。
  • 飛行機とサンダル - 傘をひらいて、空を

    取引先での会議がいつになく長引いた。彼は腕時計の盤面を視界の端でとらえ、直帰、と思う。よく来る場所だから、道はもう覚えていて、通り道も固定されつつあった。でも、と彼は思う。今日は、帰ってすぐ寝るような時刻でもないから、ちょっとうろうろしよう。 彼は方向音痴なのに、通ったことのない小さな道に入るのが好きで、気づけば迷っている。道に迷うのが趣味なのかもしれないと思う。さんざんうろついたあと、不意に、もういいや、という気になる。それからおもむろにスマートフォンで現在地を確認する。道草しても遠回りしても文句を言うやつはいない。誰にも責任を取らなくていい。そのような状況をつくることが、彼は好きだった。 うろうろしているときに彼は、たいていなにも考えていない。最初のうちは考えていることもあるけれども、そのうち無心になる。目的地や美しい眺めみたいなものはとくに必要ない。ただ歩き、知らない路地の、なんとい

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    namisk
    namisk 2017/02/01
    かわいい話。
  • つまらない顔 - 傘をひらいて、空を

    年に一回、化粧品を買う。毎日きちんと化粧をするのではないから、スキンケアと日焼け止めと粉は買い足すけれども、色を塗るものは一年保つし、なんなら余る。なにごとにも流行はあり、最新の、とは言わないけれども、年に一度、簡易なメイクとフルメイクを更新するくらいの手間はかけようと思っている。 質的に化粧を好きなのではない。面倒だと思っている。それだから、年に一度の更新は自力ではない。いつも同じデパートの、化粧品ばかり売っているフロアの、決まった店のカウンターに行く。そうして注文を伝え、普段着とドレスアップ、ふたとおりの化粧をつくってもらう。今回は久しぶりに眉墨を買った。メイクをしてくれている美容部員の女性は私の眉の(多少整えただけの)形状をほとんどそのままなぞり、眉の中央にだけ別の色を乗せた。ご面倒でも二色使いされると、このように瞳が大きく見えます、と女性は言った。眉頭は描かなくていいでしょうかね

    つまらない顔 - 傘をひらいて、空を
    namisk
    namisk 2017/01/25
    "かならず見つかります。その人にしかない、美しい欠点が。"
  • 明るい人の明るい理由 - 傘をひらいて、空を

    あけましておめでとうございます。あ、アウトだ、これ。 渡部さんがそう言い、私はあいまいに笑う。視界に入っている他の二人も、おそらく同じような表情をしている。私たちは社内読書部(会社非公式。活動内容・ときどき都合のついた者が集まってランチ会または飲み会を開き、の話をする。要らなくなったをやりとりする)の仲間だ。仕事の話よりの話をする、およそ会社の利益には貢献しない集団だけれども、の話しかしないというルールはとくにないので、なんとなし個人的な話を聞いたりもする。もちろん、個人的な話をいっさいしない人もいる。 仕事に関係のない、とくに小説だとか、実用性を持たないとされているを、大人になってもやたらと読んでいる人間は、おおむね性格がめんどくさい。率直な人、社交的な人、陽気な人もいるけれども、内面を開くと、なにがしか薄暗いものを抱えている。いいもん、と以前の会で誰かが言っていた。どうせわ

    明るい人の明るい理由 - 傘をひらいて、空を
    namisk
    namisk 2017/01/20
    暗い文学を嗜好するくらいに感情の網目は細かくはあるが、感情が流れていってしまうというか、比較的最近の感情に入れ替わられちゃうんだよね。分かる気がする。