いいか!!最初に言っておくぞ!!! みんな目の前のリスクが一番に気になるのは当たり前だ!!!!!!! 例えばだぞ!!少し前に騒がれた埼玉県警の痴漢抑制シール!!あれについて「冤罪が恐い」と書く!!すると「そもそもの痴漢の発生件数の方が多いのにそっちを無視して冤罪ガー」とか言う奴がいる!!!!!!! うぜえええええええええええええええええええええ!!!! 痴漢の話をしたいんじゃない!!こういうやりとりだ!!!!!いいか!!みんな目の前のリスクが一番気になるんだ!!当たり前だろ!!!! 女は痴漢が恐い!!男は冤罪が恐い!!当たり前だろ!!女は男が感じる冤罪の恐怖は感じにくい!!男は女が感じる痴漢の恐怖は感じにくい!!これが当たり前!!! いつから!?!? いつから!?!?!?!? いつから俺達は全知全能の神にならなくちゃいけなくなったの!?!? いつから自分とは違う世界中全ての人のリスクまで想
彼女と同棲してて、だいたい週末にまとめて洗濯するんだけど、彼女の服が多い。 こっちはTシャツにちょっと何か羽織るくらいだけど、彼女のはインナーから何からとにかく枚数がある。 多いと洗濯の回数も増えるし、あと干すのが猛烈に手間。 なんでそんなに服着るの。
僕は、人に話しかけることが苦手だ。 人に話しかけなければいけない時は、いつも胃がきりきりと痛む。相手が見知らぬ他人だろうと、そこそこ知っている友人だろうと同じだ。 昔は、人の話に応対するのも苦手だった。でも、それは最近克服できた。人と話をうまくするというのは、単純に技術の問題だからだ。 ちゃんと話が続くような受け答えをその場で考えることができるようになれば、このハードルは拍子抜けするほど簡単に超えることができた。 でも、人に話しかける時に必要なのは技術ではない。 「人に話しかけるのが得意な人」の素振りを見ていても、彼がしているのは単に「人に話しかけること」、それだけだ。 要するに、これは技術の問題ではなくて度胸の問題なのだ。 度胸の有無は、先天的なものなのだろうか。いや、そうではないだろうと、ずっと信じてきた。 ドキュメンタリー作家の森達也が「今でも取材を申し込むときはとても緊張する」と話
母と演劇を見る約束があった。 約束の一週間前に、もっと大事な先約があったのを思い出して、母との約束をキャンセルした。 母に行く日の日にちは大丈夫か何度も確認されてたけど、大丈夫だと思ってた。でも日にちを勘違いしていたので、結局キャンセルせざるを得なかった。 そしたら母はパニックになってギャーギャーわめいて怒った。お金を払えば別に怒られないと思っていたから、意味がわからない。 どうやら定価よりも高いお金を出して、売り切れていたチケットを買ったらしい。全額出すよと言ったら、私の努力はどうなると言われた。 でも、正直そこまでして見たいと言っていないし、手に入れるのが大変だったなら、無理してほしいなんて一言も言っていないのだから、取らなかったらいいだけだ。 全部母が勝手に努力しただけ。 こういうことに怒る人が多すぎると思う。勝手に努力して、それが無駄になったと必要以上に怒る。 そもそも、お金を払え
セフレを好きになってしまった。 セフレですらないのかな。ここ一ヶ月くらい一緒に飲みに行くと必ずセックスしている人がいる。「君とは恋人関係になれないから」と言われているのに好きになってしまった。「今週呑みに誘うかも」と言われていたのに連絡がない。でもこっちから連絡して鬱陶しいと思われたくない。連絡が欲しい。セックスしなくていいから会いたい。はー、せつない。
誰でも参加できる「読書会」を探してえんやこら。 オンラインで特定の「本」について双方向的に語れたら素敵だと思うの。 「本」をテーマにあれこれするのが楽しかった大学時代 僕は、本を読むのが好きです。 いわゆる「読書家」の人たちからすれば地を這う毛虫のような存在ではございますが、昔から「読書」の過程で得られる体験の全てが好きでした。 昼休みの図書室で過ごす静謐な時間とか。自分の身長以上もある本棚の森を縫うようにして目当ての本を探し歩くとか。本に夢中になるあまり時が経つのを忘れ、本を捲る音しか聞こえなくなる瞬間とか。そのどれもが、どこか大切なひとときであるように思える体験でございます。 そして同様に、「本」について誰かと話をするのも好きです。 とは言っても、古典文学や海外の名著などの作品を読んだ経験は少なく、それゆえ他者と「本」について語り合うような機会は少なくもありました。どうも「文学」という
福祉職をしているが、この手の相談はそのまま長期化して数十年後に発覚するパターンが多い。 本人のためにも、家族のためにも、早めに医療機関に繋ぐことが何より大切になる。 とはいえ、病気という意識のない本人に受診は促せないと思われるので、何かしらの外部からのきっかけが必要になる。 精神科への入院には大きく措置入院、医療保護入院、任意入院と3種類が存在し、任意入院以外は本人の同意は不要。 ただし、医療保護入院は病院までは本人が自主的に出向く必要があるので、そこはうまい理由付けをしないといけない。 (病院で医師も交えて今後の相談に乗ってもらおう、病院でゆっくり寝食を得て休息しよう…等) 措置入院であれば本人の同意なしに自宅から病院まで強制的に連行することができるが、そのハードルは極めて高い。 少なくとも、他害行為が生じて警察沙汰になった段階でないと運用がなされないことがほとんどである。 もし自宅内で
ある女性から「このラノベおすすめ! 読んで感想聞かせなさいよね!」とけしかけられた僕は、その女性に気に入られたい下心で早速 Amazon から取り寄せた。 このラノベについて女性は「ファンタジーものじゃないし、登場人物も2桁いかないし、ラノベ臭さもないし読みやすいはず!」というが、しかし一向に読み進めることができていない。僕は読み進めるのがどうも遅いらしい。数えると1ページにつき2分くらいかかっているのではないか。 恥ずかしながら、僕はこれまで国語の教科書以外で小説を能動的に読んだことがない。 ウィークデーの僕は朝刊を欠かさず読み、エッセイや論文もたまに読む。読むだけなら慣れているはずだ。 それなのに小説は僕の頭に全然入ってこない。 単に小説に慣れていないから、で片づけられるのならまだいいが、僕には想像力や記憶力が欠如しているのかもしれない。『小説 読み方』のような検索ワードで色々調べてみ
ネットに、死の影が色濃くにじんだ絵がひたすら貼り付けてあるブログを見つけた。 http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4872375.html ひところ夢中で見入っていたズジスワフ・ベクシンスキー(1929年-2005年、ポーランドの画家)の絵だった。 少年時代にナチス・ドイツのポーランド侵攻を経験したせいなのか、作品は、死、不安、絶望、退廃、虚無、悲哀、破滅、喪失、滅失、混沌、腐敗、恐怖、終末といった情景に満ちている。 美しくもおぞましい終末世界が広がる。 人というか異形のものに成り果てたかつては人間であったもの、人の残骸や躯のようなモチーフが圧倒的に多い。 彼が描きたかった世界はそこなのだろうが、時折混じる、人型めいた何かが描かれない、茫漠として不安定で美しい建物や風景に惹かれる。 人の残骸は、風景よりずっと能弁で意味深だ。グロテスクで重い。
2015年は『アウトプット量を増やす』というのを目標にしています。 そのために4ヶ月くらいサービス作ったりQiita書いたり勉強会で発表したりしてみたんですけど、少しだけ変化を感じるようになったので、振り返りを兼ねてまとめておこうと思います。 一言で言うと、 勉強会でぼっちになることが少なくなった気がするという話です。 今年やったこと まず今年に入ってやってみたことをまとめてみます。 1. 開発コンテストに応募してみた YOKOHAMA Ups!という横浜市の開発コンテストに出て、優秀賞もらいました。 もともと出る予定はなかったんですが、PCほとんど触ったこともなかったはずの母親から 「ExcelのMicrosoft Office Specialist試験1000点満点で合格したわ」という報告が来て、自分もとりあえず何かしないとヤバいと思ったのがきっかけです。 詳しい流れは以前にブログにま
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