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  • 初めてのビットコイン取引を、ビビリながらやってみた(´・ω・`;) - みずおのアレコレ話

    今日、初めてビットコイン取引をやってみました。 初めてなので、少しとまどいましたが、無事に0.01BCTを17,447円で買うことができました。 よっぽど購入が簡単な販売所にしようと思いましたが、なんとか取引所で買うことができました。 なんでも初めてやることは、わからないことだらけで疲れます。でも、1回、やってみると少し自信がつきますね。 取引所はbitFlyerを使いました。 操作が簡単なので、初心者にはcoincheckがおすすめとの情報も多いですが、先に取引が可能になったbitFlyerを利用しました。 bitFlyerは登録して使用できるまでの時間が短くていいです。操作もそれほど難しくはありません。 ただ取引所の場合、購入単位が最初BTC(ビットコイン)の単位で表示されるので、日円でいくらなのかわからず、少しとまどいました。 しかし「コインを買う」ボタンをクリックすると、日円も

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    naole 2018/01/12
  • 中国の文明とモノマネ文化 - みずおのアレコレ話

    中国のモノマネ文化は有名になりすぎて、いまではニュースでも、滅多にお目にかかれません。 以前、ディズニーや日メーカーのパクリをニュースで見たときは、よく恥ずかしくないものだと感心しました(゚Д゚;) 中国は、言わずと知れた中華思想の国です。孔子の儒教が生まれた「礼節の国」でもありました。 まさか、あんなセコイことをする国になるとは思いませんでした。 日にとって「師の国」でもあった中国は、どこへいってしまったのでしょうか? モノマネされる側だった 世界四大文明は大河の流域から起こっています。 なぜ、大河の流域から文明が発達するのでしょうか。それは河川を利用して、各地域や様々な国から人が集うからです。そして交易がおこなわれます。 交易をとおして、様々な文化文明が触発し合い、互いに切磋琢磨します。文明の競争が生まれて、発展していくことができるのです。 後に、陸の交易路(シルクロード)や海の交

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    naole 2017/10/19
  • 本能寺の変の後、なぜ秀吉は滅亡しなかったのか? - みずおのアレコレ話

    能寺で織田信長が横死した後、羽柴秀吉は瞬く間に天下人まで駆け上がった印象を受けます。 でも、「能寺の変」直後の状況をみると、秀吉が滅亡しなかったのが不思議なくらいです。 能寺の変の知らせを聞いたとき、秀吉は備中(岡山県西部)で毛利の大軍と対峙していました。 このとき、秀吉の軍は、宇喜多勢1万を含め合計約3万です。毛利は約4万の大軍で陣を張っていました。 信長の死を知ったならば、兵力で勝る毛利は、猛然と秀吉軍に襲いかかるはずです。 また、信長の死が広まれば兵士の逃亡が相次ぎ、軍は崩壊します。農民も土寇(どこう)と化し、秀吉に襲いかかるはずです。 まさに、秀吉の命は風前の灯・・・・となるところでしたが(゚□゚;) 広範な情報網を敷いていたのか? 秀吉は運に恵まれた、とも言えます。しかし、秀吉が信長から学んだ「情報戦略」も見逃せません。 秀吉は、独自の緻密な情報網を敷いていたのではないでし

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    naole 2017/10/17
  • 戦国時代、上杉謙信は織田信長をメチャクチャ助けていた! - みずおのアレコレ話

    織田信長が美濃の斉藤氏を滅ぼして、100万石の大名になったとき、隣国の信濃は、武田信玄に支配されていました。 当時、戦国時代最大の大名といわれていた武田信玄は、最強の戦国武将でもありました。 もし、信長が信玄と戦えば、ほとんど勝ち目がありません。信玄の兵は、一人で三人の敵を倒せる、といわれるほど強かったからです。 逆に、信長の尾張兵は、弱いことで有名でした。戦で少しでも不利になると、逃げだす臆病者が多かったのです。 だから信長は、信玄にやたらとゴマをすります。贈り物を届けたり、自分の養女を信玄の息子に嫁がせます。 弱肉強の戦国時代は、ゴマをすったからと安心できるわけではありません。ゴマすりは、単なる時間稼ぎといえましょう。 ところが、信長に幸運が舞い込みます。それは上杉謙信という化け物みたいに強い戦国大名が、武田信玄と戦い続けたからです。 信玄は信長の領土を狙う余裕がなくなりました。上杉

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    naole 2017/10/15
  • 織田信長は宣伝マンだった\(^ ^)/ - みずおのアレコレ話

    戦国時代に広告代理店はありませんが、戦国大名は誰でも宣伝マンのような仕事に熱心でした。 ある意味、兵の数よりも重要だったのです。 兵の数が少なくても、宣伝(情報戦)が上手ければ、兵をより多く集めることができ、戦に勝利できます。 逆に、宣伝が下手だと、兵が多くても裏切ったり、逃亡したりします。 とくに接戦の場合、宣伝力の差で戦の勝敗を決めることもあったのです。 織田信長は、この宣伝マンとしての能力も、他の戦国大名を圧倒していました。 民衆の口コミを最大限に利用した信長 戦国時代は、現代のようにテレビや新聞、インターネットもありません。宣伝媒体は、人間の口から口に伝えられる口コミでした。 この口コミを最大限に利用する仕組みを、信長は作りました。 つまり、民衆を味方につけ、信長に有利な口コミが起こる仕組みをつくったのです。 ちょっとAmazonのレビューに似ているかもしれません。レビューが商品の

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    naole 2017/10/13
  • 内閣という漢字は、明(中国)がつくった(´∀`me)?? - みずおのアレコレ話

    明日、10月10日に衆議院選挙が公示されます。テレビや新聞を見ていると、なんか、メチャクチャな選挙になりそうです。 9月28日に衆議院が解散されましたが、それと同時に衆議院議員は、全員クビになりました。現在、日に衆議院議員が存在しないのです。 そんなときに北朝鮮からミサイルが飛んできたり、災害が起きても大丈夫なのか、と疑問がわきます。 でも、昨日、テレビを見ていたら、池上彰がそのことを解説していました。衆議院が解散しても、「内閣」は存在しているので、通常どおりの対応ができるとのこと。 「内閣」って便利なものだな、と、ちょっと感心しました。 この「内閣」という漢語は、日ではなく、中国の明王朝がつくったのです。 明の洪武帝は権力を集中させた 明(みん、1368年 - 1644年)は、洪武帝(朱元璋)が建国した中国の王朝です。 この洪武帝は、たいへんな勉強家でした。過去の中国の王朝が滅亡した

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    naole 2017/10/10
  • ブログ記事を電子書籍化したい(´▽`;) - みずおのアレコレ話

    他の方のブログを拝見していると、ブログ記事を電子書籍化している人がいます。 正直、うらやましいです(*゚0゚) 私も、ヘタウマ小説電子書籍Amazonに出版しましたが、続編が書けません。 ヘタウマ小説を書いたのが、はてなブログを始める前だったので、執筆に集中することができました。 でも、今は仕事の合い間にブログ記事を書いているので、そんな時間はありません。 そこで、ブログ記事を電子書籍化することを考えました。これなら一石二丁です。 カテゴリーの記事が20個で電子書籍化 記事の電子書籍化のため、私のブログは、下記のようにカテゴリーを少し細かくしました。 この中で「織田信長」や「豊臣秀吉」、「徳川家康 」、「剣豪」など、自分が興味があって、一つの文章として、まとめられそうなカテゴリーを電子書籍化したいと考えています。 また、来年のNHK大河ドラマは「西郷どん(せごどん)」ですので、「西郷隆

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    naole 2017/10/06
  • 古代中国と日本の合従連衡(・∩・)? - みずおのアレコレ話

    中国を初めて統一した秦(しん、紀元前778年 - 紀元前206年)は、戦国時代に周辺の六ヶ国(楚、韓、斉、魏、趙、燕)と戦いを繰り広げていました。 六ヶ国が同盟して、強国・秦に対抗しましたが、なかなか優勢に立つことができません。 この六ヶ国が同盟することを「合従(がっしょう)」と呼びました。 秦は、六ヶ国の合従を切り崩そうと、六国の間を対立させるように仕向けました。これを「連衡(れんこう)」といいます。 結局、合従は失敗に終わり、連衡が成功して、秦が中国を統一します。 なかなか足並みが揃わない合従(同盟) ある時、六ヶ国の合従が効果をもたらして、秦に大打撃を与えます。 しかし、六ヶ国は互いに疑心暗鬼になり、漁夫の利を得ようと団結にヒビが入りました。 追い詰められた秦からの反撃で、自国の兵の損害をできるだけ少なくしたい、と逃げ腰になったのです。 真っ向から戦い、秦を滅亡させたとしても、他の五

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    naole 2017/10/04
  • 織田信長は、変人で発達障害なのか? - みずおのアレコレ話

    織田信長は、発達障害だった、という噂があります。 発達障害の症状を簡単にあげると、落ち着きがない、衝動的な行動と発言、物事へのこだわりが強い、空気が読めない・・・・などがあります。 発達障害の代表的なものに、ADHD(注意欠陥・多動性障害)やAS(アスペルガー症候群)があります。 たしかに織田信長に関するを読むと、発達障害にあてはまりそうな部分があります。 少年のころは学問が嫌いで、寺子屋から抜け出し、遊びに行くことが多かったのです。 町中で、握り飯をべながら歩いたりします。衣服にも無頓着で、腰にヒョウタンやお菓子が入った袋をぶらさげていました。 また、人にあだ名をつけるのが大好きで、初対面の人にも平気でつけていました。 だから「うつけ」と人々から呼ばれ、アホだと思われていたのです。 そんな信長が、尾張半国の領主から天下の大半を制覇するとは、誰もが想像しませんでした。 天才に発達障害

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    naole 2017/09/26
  • 19世紀、中国は西洋に、なぜ負けたのか(*´д`)?? - みずおのアレコレ話

    羅針盤、火薬、紙、印刷は、中国の四大発明と呼ばれています。 古代、この四大発明は東洋だけでなく、西洋にまで伝わりました。 東アジアの中国の周辺国は、中国を師の国として、文化・文明を学びました。もちろん、日も含まれます。 ところが19世紀、中国(清)は、欧米の列強に領土を蚕(さんしょく)されます。 あれほど中華文明を誇った中国が、なぜ、19世紀に西洋に手も足もでない状況に陥ったのでしょうか? 競争原理が活発でなかった中国 17世紀ごろまでは、中国と西洋の間で、工業技術に大きな差はなかったといわれています。 しかし、徐々に中国と西洋の差がひらいてきます。その主な原因は、競争原理の活性化の差でした。 つまり、中国は国内での工業や様々な技術の競争が活発でなかったため、発展が停滞したのです。 一方、西洋は、中国より狭い面積の地域で、いくつもの国がしのぎを削り、競争が活発になりました。 数十カ国(

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    naole 2017/09/20
  • 曹操の活躍は、日本の文化にも影響を与えた!? - みずおのアレコレ話

    三国志といえば、蜀の諸葛孔明と劉備玄徳が主人公のような感じです。 そして悪役が曹操ですね。 しかし、歴史に与えた影響から見たら、曹操は悪役どころか英雄です。 そして、その影響は、中国だけではなく、時代を経て古代の日にも及んだのです。 後漢が衰退していたころ、曹操は、蜀や呉と戦うため、兵力の増強の策を考えます。 その策は、それまでの古代中国のどの王朝も、あまり積極的にやらなかったことですが・・・・? 曹操は、騎馬民族を配下にした なんと曹操は、中国北方の騎馬民族を、積極的に自軍に加えたのです。 秦の始皇帝が建設した万里の長城は、中国北方の騎馬民族の侵入を防ぐためのものです。 中国の王朝は、北方の騎馬民族の略奪に、いつも頭を悩ませてしました。 しかし、後漢が衰退して天下が乱れると、中国北方の袁紹(えん しょう)や董卓(とう たく)が、北方の騎馬民族とともに、勢力を増大させます。 当初、曹操は

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    naole 2017/09/15
  • 桐生の日本人初9秒台とアフリカの人類!? - みずおのアレコレ話

    昨日、まさか日人から10秒の壁を破る選手が現われるとは思いませんでした。 あまり陸上には興味のない私ですが、同じ日人が黒人選手並みに9秒台の記録をだしてくれ、とても嬉しかったです。 しかも桐生祥秀選手は、両親が日人なので、なおさら嬉しかったです。 なぜならば、父がガーナ人のサニブラウン・ハキームか、あるいは、父がジャマイカ人のケンブリッジ飛鳥のどちらかが、日人初の9秒台を出す、と思っていたからです。 身体能力が優れている外国人の血を受けている両者と桐生とでは、圧倒的に桐生が不利と思っていました。 それをくつがえしての日人初の9秒98は、当に素晴らしいです! なぜ黒人選手は走るのが速いのか ほとんどの黒人選手の先祖は、アフリカに住んでいました。 そして、あの広大な草原を狩のために、走りまわっていたのです。自然、走る身体能力が発達します。 そのDNA(遺伝子)を受け継いだ黒人選手が

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    naole 2017/09/12
  • ブログのタイトルを変えても、新着エントリーに載った(*^▽^*) - みずおのアレコレ話

    昨日、はてなブログのタイトルを変えました。いろいろ問題がでるかと思ったのですが、そうでもないようです。 前回、ブログのタイトルを変えたときは、初めてのことなので、かなりとまどいました。 しかし、今回は「新着エントリー」にも久しぶりに載っており、問題がなかったようです。 まぁ、問題がでても元のブログタイトルに戻せばいいだけですから、気楽なもんです(・∀・) 「はてなサポート窓口」から回答があった 以前、「新着エントリー」に載らなくなったので、「はてなサポート窓口」に問い合わせをしました。 翌日に回答がきて、ブログタイトルや記事タイトルを変更しても、新着エントリーへの掲載には影響しない、とのこと。 「はてなサポート窓口」の回答は間違いなかったんだと、今日、実感しました。 記事タイトルのつけ方が影響するのかも? 私は、半年あまりブログの更新を休んでいました。その間、はてなブログの仕組みも変化して

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    naole 2017/09/05
  • 北朝鮮の金王朝は、いつまで続くのか(*´д`)?? - みずおのアレコレ話

    最近、北朝鮮のミサイル騒動が起きると、「またか」という感じがしてきます。 北朝鮮は、より騒ぎを大きくするため、手を変え品を変え煽っているみたいです。 ミサイルと核で威嚇して、先制攻撃を受けないための防衛手段といわれています。また、政権の求心力を高めるためのパフォーマンスも兼ねているようです。 威嚇を続けなければ、政権を維持できないのでしょうか。もし、威嚇をやめてしまうと、現状を保てなくなるのでしょうか(・・?) いずれにしろ、金氏3代目・金正恩(キム・ジョンウン)は、政権を維持するための瀬戸際に常時、身を置いているといえるでしょう。 いったい、いつまで続くんでしょうかね? 世襲の権力者が何世代も続くのは難しい! 韓国歴史ドラマには、古代から近世までの王朝の興亡、権力の興亡の物語が多いです。 王朝が同じで、王様が世襲で続いていても、「権力」は長く続きません。 重臣や外戚、党派に権力を握られ、

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    naole 2017/09/02
  • 北朝鮮の金正恩と韓国ドラマの朱蒙が似ている気がする? - みずおのアレコレ話

    最近、週刊誌や夕刊紙で北朝鮮のミサイル攻撃の記事を、よく見かけます。 読んでみると、たいへんなことが書かれています。 韓国や日は、多大な被害を受ける可能性があるとのこと。 でも、なんかピンときません。例年の夏よりも涼しくて過ごしやすい日で、私はノンビリ過ごしています。 最近では、夜、コウロギの鳴き声が心地よいです。 金正恩はミサイルで、朱蒙は鉄が好き? テレビニュースで、ミサイル発射をながめて喜んでいる金正恩(キム・ジョンウン)を見ていると、朱蒙(チュモン)を思い出します。 朱蒙は、紀元前37年ごろ高句麗を建国した人物です。 当時、中国は後漢王朝の時代でした。後漢は、鉄の刀や槍、矢、鎧で周辺の小国を圧迫していました。 ところが建国したばかりの高句麗には、鉄の武器がありません。青銅の刀や槍、矢、鎧、あるいは皮の鎧しかありません。 当然、武器のテクノロジーの差で、高句麗は後漢に戦で敵いませ

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    naole 2017/08/23
  • ブログタイトル(名前)の変更は慎重に!? - みずおのアレコレ話

    ブログタイトルを「みずえのアレコレ話」から「みずおのアレコレ話」の変更したら、問題がおこりました。 「はてなブックマーク」ページの「新着エントリー」にまったく載らなくなったのです。 原因は、ブログタイトルの変更に時間がかかるためでしょうか? 私のブログ記事は137個ありますが、全部を「みずおのアレコレ話」に変更するのに、かなり時間がかかるのかも? 記事タイトルの後半が「みずえ」と「みずお」になっているものが混在しています。 「みずおのアレコレ話」ブログ名で書いた記事を、はてなブログのシステムが認識できないために起こる症状なのかもしれません・・・・。 正確な原因はわかりませんが、ブログタイトル(名前)を元の「みずえのアレコレ話」に戻すことにしました。 また、タイトルの画像やプロフィール名も元に戻しました。 しかし、他の方のブログ(はてなブログ)を見ると、そのような問題もなくブログ名の変更がで

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    naole 2017/08/20
  • 白血球の数が減少したので、あせった!? - みずえのアレコレ話

    先月、健康診断を受けて驚きました。血液検査の結果、白血球が減少していると、医師から告げられたのです。 健康診断で白血球の減少を指摘されたのは初めてなので、とても不安になりました。 なにか悪い病気にかかっていたら怖いです。 いつものクセで、ネットでいろいろ調べました。 怪しい情報もネットには氾濫していますが、30個ぐらいのHPやブログを見て、なるほど、と思いました。 薬の常用が原因なのか? 病気やその他の原因で、白血球が増えたり減少したりするそうです。しかし、一番、多い原因は、薬の常用とのこと。 その原因になる薬とは、たくさんあるようです。処方箋や薬局の薬など、いろいろです。 私が常用している薬は二つあります。花粉症の薬と抗不安薬です。 私は春の花粉症シーズン以外の時期でも、同じような症状があります。なので、気がつくと一年中、花粉症の薬を飲んでいました。 花粉症の薬を毎日、飲み続けて10年ほ

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    naole 2017/08/17
    お久しぶりです(*^_^*)
  • 高杉晋作は、信長と逆のことをやって成功した? - みずおのアレコレ話

    幕末の高杉晋作は、戦国時代の織田信長と逆のことを行い、成功させました。 織田信長は、当時、農民でもあった武士の農作業をやめさせ、専業武士にしました。「兵農分離政策」です。 これによって、格的な訓練ができ、自在に操れる最強の軍ができたのです。 高杉晋作は逆に、農民や庶民、武士などが混成した部隊「奇兵隊」を創設しました。 もちろん、業も兼ねた兵士の軍です。「兵農・庶・武結合政策」ともいえそうです。 信長とは正反対のことを晋作は行い、成功させたのです。 信長の専業武士は強かった 戦国時代、兵農分離による格的な専業武士を備えていたのは、信長がだけです。専業武士の利点を活用して、信長は他の戦国大名を圧倒したのです。 敵国が農作業に忙しい時期でも、専業武士には農作業はありません。農作業中の敵を攻撃することができます。 戦が職ですから、緊急の場合でも集結して軍を編成するのも容易です。敵からの奇襲

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    naole 2017/03/01
  • アマゾンの配達が過酷!サービス精神が旺盛な日本? - みずおのアレコレ話

    私もアマゾンでよく買い物をしますので、最近、ニュースでみかけるアマゾンの過酷過ぎる配送の実態が気になります。 たしかに注文して当日や翌日に商品が届くのは、たいへんありがたいです。でも、ニュースやドキュメントで配送員の方の苦労を知り、少し驚きました。 時々、夜の8時過ぎになって荷物が届くことがありました。「遅いな!」と口には出しませんでしたが、不満なこともありました。 配達員の方の過酷の現状を知ってからは、そんな不満を持つのが悪いような気がしてきました。 よく考えれば不思議なことです。なんでそんなに急いで商品を届けてもらう必要があるのでしょうか。 商品が2日か3日後に届いても、私の人生に大して影響はしません。 昔の配送は、サービスが悪かった 私の両親や祖父母の時代は、現在では考えられないくらい配送のサービスが悪かったのです。 大和運輸が「宅配便」のサービスを始める前は、郵便小包と鉄道小荷物ぐ

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    naole 2017/02/27
    大変やな(;^ω^)
  • 島津斉彬は、西郷隆盛と大久保利通の師だった!? - みずおのアレコレ話

    西郷隆盛と大久保利通は、明治維新の元勲であり、長州の木戸孝允とともに「維新の三傑」と称される英傑です。 薩摩藩の第11代藩主である島津斉彬は、その二人の主君であり師でもあります。 島津斉彬は、あまり有名ではありませんが、頭が二つある、といわれたほど聡明な人物です。 幕末、斉彬は、日で初めての蒸気船・雲行丸(うんこうまる)を建造しました。 その他、溶鉱炉・反射炉の建設、水雷・地雷・ガス灯・ガラスなどを製造しました。西洋の工業技術を積極的に取り入れていたのです。 後にイギリスの海軍が薩摩を攻めたとき、これを薩摩藩は見事に撃退しています。 当時、世界最強といわれたイギリス海軍を敗退させるほど、薩摩藩の工業技術とともに兵器の水準も高かったのです。 富国強兵に尽力した島津斉彬の功績ともいえるでしょう。 そして、西郷隆盛と大久保利通という維新で活躍した弟子も育てたのです。 西郷隆盛はカリスマ性と統率

    島津斉彬は、西郷隆盛と大久保利通の師だった!? - みずおのアレコレ話
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    naole 2017/02/26