ブックマーク / fujipon.hatenablog.com (3)

  • 高畑勲監督のこと - いつか電池がきれるまで

    www3.nhk.or.jp ある時期まで、僕にとっての高畑勲監督は、「ジブリの二枚看板のうち、そんなにヒットしない、説教くさい映画をつくっているほうの人」でした。 当に失礼な話ではあるのですが…… でも、高畑監督のさまざまなエピソードやアニメーションという表現における功績を知っていき、遺作となった『かぐや姫の物語』を観て、その存在の大きなと、ジブリにとって欠くことのできない人であり、とてつもなく「めんどくさい人」であったのだな、と思うようになったのです。 そもそも、高畑さんがいなければ、宮崎駿監督もここまでの成功を収められなかったかもしれません。 ジブリの興行面においても、宮崎駿作品のヒットが桁外れなだけで、高畑作品も素晴らしい成績を残してはいるんですよね。 『となりの山田くん』とか『かぐや姫の物語』のように、高畑監督が「新しい表現」を追究すると、コストがかかりすぎて、赤字になってしま

    高畑勲監督のこと - いつか電池がきれるまで
    napeco
    napeco 2018/04/08
    ジブリの会社内エピソード、好きなんですよね。高畑監督と宮崎監督どちらが欠けてても今のジブリ人気はなかったでしょうね。
  • この世界と、理不尽な悪意について - いつか電池がきれるまで

    www.anohana.jp 最近、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』のTVシリーズのDVDを少しずつ観ているのだが、そのなかで、登場人物のひとつである女子高生・安城鳴子が、友人たちと合コンに行き、半ば友人たちに騙されるような感じで、合コン相手の男のひとりにラブホテルに連れ込まれそうになるシーンがあった。 僕はこの手の「無理矢理」とか「相手の隙につけこんで、性行為に及んでしまおう、という話」が、なんだかすごく苦手で、フィクションだとわかっていても、ものすごく不快な気分になる。 そもそも、そんなふうにして、嫌がる相手を丸め込んで行為に及んでも、楽しくも気持ち良くもないし、自分にとっても相手にとっても「汚点」になるだけではないのか。 その一方で、世の中には、「相手も当は望んでいるのだ」とか「きのうは、おたのしみでしたね」みたいな考えの人もいるし、そういうシチュエーションでこそ、興奮

    この世界と、理不尽な悪意について - いつか電池がきれるまで
    napeco
    napeco 2017/06/05
    悪意があった方がまだ気持ちは落ち着ける場所がある。でもそんなものがなくても、人は傷付けたり傷付いたりするもので、とても怖いです
  • 「露出狂」か「いっちょ噛みしたい人」でないと、ネットで生き続けるのは難しい - いつか電池がきれるまで

    nogreenplace.hateblo.jp 自己というのもリソースで、無限に湧いてくるリソースなんていうものはどこにもないと思う。自分を切り売りして何かを発信している人は、いつかネタが枯渇する。その時に余所にリソースを求めるのか、自己をもう一度育て直すのかはその人次第であるけれど、大体は枯渇したものは元に戻らない。そして枯渇したことに気が付かない人は結構多い。そもそも自己を切り売りしていた自覚すらないのかもしれない。そういう発信が増えることは恐ろしい。要は「どんなことを言っているのかわからないけれど発信している」状態の人が増えるということは情報の相対的な無価値化が進むことに他ならない。 SNSや個人ブログのコンテンツって、ある程度コンスタントに更新し続けようとするのならば、結果的には「自分」しかないのだと思う。 調べたことや研究結果などを書くことは不可能ではないけれど、日記は毎日綴るこ

    「露出狂」か「いっちょ噛みしたい人」でないと、ネットで生き続けるのは難しい - いつか電池がきれるまで
    napeco
    napeco 2017/05/10
    「見られる」意識をもって、自己をきちんと分析して発信できる人は露出狂じゃなく露出趣味に昇華していくんだろうか
  • 1