久隅守景によって描かれた王昭君(江戸時代) 王 昭君(おう しょうくん、紀元前51年 - 紀元前15年)は、中国生まれの官女で後に匈奴の君主呼韓邪単于、復株累若鞮単于の妻。(閼氏単于妻)。姓を王、諱は檣(『漢書』匈奴伝下)または嬙(『西京雑記』)。字を昭君。後世に晋の司馬昭に贈られた避諱により王明君・明妃ともいう。日本では通常、王昭君と呼ばれるが、地元(フフホトの方)では単に昭君と呼ばれている。荊州南郡秭帰(現在の湖北省興山県)出身で、楊貴妃・西施・貂蝉と並ぶ古代中国四大美人の一人に数えられる。史実上の実在ははっきりしないが、平和と中国の為に我が身を捧げた自己犠牲的女性だとの解釈が多い。 生涯[編集] 前漢の元帝の時代、漢の南郡秭帰県(現在の中国湖北省宜昌市興山県)の山村に生まれる。美貌で宮中に官女として召し出された。その後、匈奴(モンゴル)分裂時代の東匈奴の君主たる呼韓邪単于が入朝(漢王