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増田と受験に関するnasuhikoのブックマーク (7)

  • 金沢駅のトイレで、e-maのど飴を握りしめたあの日のこと

    地に足がつかない、とはこのことかと思った。 2月の終わり、寒い日のことであった。大学受験の二次試験前期日程の試験を終えた私は、試験会場の大学からバスに乗り、金沢駅のバスロータリーに降り立っていた。バスから降りた時、アスファルトがぐにゃんと歪んだような気がして、最初上手く歩けなかった。地に足がつかない、とはこのことかと思った。 二次試験は、よく解けたという気もするし、ダメだったという気もした。要するに何も分からず、前者であったと自分に言い聞かせるしかなかった。金沢駅の東口をとぼとぼと歩く。前期試験が終わった。そのことへの安堵と、もうこれで受験勉強をしなくていいかもしれないという期待は確かにあって、背中に羽が生えたような気分だった。 しかし、まだ合否は出ていない。もう動かせない結果は、どちらに転ぶか分からないのである。まだ何者にもなれていない、宙ぶらりんの状態は何とも居心地が悪かった。 バスか

    金沢駅のトイレで、e-maのど飴を握りしめたあの日のこと
  • 風俗に落ちた女友達

    念のため、年齢はぼかす。創作なので俺も彼女もどこにもいないです。 俺には中学生の頃に女友達がいた。その子は低い声がコンプレックスらしくあまり人前で喋る方ではなくて、アスペルガー障害を持っていた(これは後に発覚)ので、よく周りが笑っている時に笑いどころが分からないと一人で真顔でポツンと座ってるような子だった。ストレスで上唇を噛む癖があり、パッチりとした目をした可愛い子だったが上唇がいつもボロボロだった。それでも2,3人の女の子グループにいつもいて、ぎこちなく笑いを浮かべて過ごしてはいた。 その子も俺もよく休みがちだった。俺は情報量が多い学校生活を送っていると脳と体が疲弊しきるので、周りと比較することを覚えた小4あたりから社会生活を諦めていた。布団に入って教育テレビを見ながら疲弊と不安で泣いてることが多かった。 彼女と同じクラスになったのは中1の頃で、席替えの時に隣の席になった。とある授業で前

    風俗に落ちた女友達
  • 中学受験について、匿名でないと書けないことを伝えたい

    中学受験のメリット・デメリットは色々な所で論じられているが、記名ではなかなか書けない部分をちょっと書きたいと思う。 よく言われるメリットは、中高一貫校で高校受験がないために自分の興味に集中出来るであるとか、自由な校風が主体性を伸ばすであるとか、そういったものだと思う。自分も間違いなく大きなメリットだと思う。 また、小学校の時に行う中学受験の訓練は、それがすなわちロジカル・シンキングに結びついており、大人が必要としている思考ツールの練習になるという指摘もその通りだろう。卒業後の縦横の繋がりも深い学校が多い。 中学受験を経験し、難関校の入学を達成した時点で、その後の人生において大きなアドバンテージを得ているのだ。ここまででも十分に立派なメリットである。 しかしそれ以上がある。それは、家庭の選抜である。中学受験に十分な投資するような家庭で育った子どもたちは、家庭全体としてある程度優秀であることが

    中学受験について、匿名でないと書けないことを伝えたい
  • 「育ちがよさそう」? はぁ? ふざけんな死ね

    【一応スペック】 ・20代、女 ・東京出身、在住、実家戸建 ・父親は教員、母親は専業主婦 ・中学お受験して大学までエスカレーター進学 ・中高大の卒業式でそれぞれ成績上位者として表彰される ・受けた公務員試験に全通、新卒で地元の役所に勤務 ・色白、黒髪ロング、細身、おっとり、おとなしい ・お菓子作り、裁縫が上手そう 【実態】 ・アラサー、喪女(真正)、処女(真正) ・実家から一度も出たことないパラサイトシングル(たぶん一生) ・創価三世なので、父親は仕事と創価、母親は一日中創価の活動をしている ・創価中学を受験し合格してしまったので、流れで大学まで通ってしまう ・家庭環境と学歴とは裏腹に信仰心がまったく育成されず、うわべだけ創価サラブレッドになってしまい後戻りができない状況 ・生まれてからずっと陰キャで腐女子に囲まれていたが、腐女子趣味がまったく理解できず完全に孤立 ・創価の選挙活動をした

    「育ちがよさそう」? はぁ? ふざけんな死ね
  • 引きこもって20年経ったが外に出たい

    もう39歳で人生詰んでるのはわかってるけど、この状況から出たい。どうしたらいいかわらないけれど。 親はもう70歳でこれまでずっと心労だけかけてきて申し訳ない。 なんで引きこもりになったのかはずっと積み重なってたことだけど、最終的にはバイトで休むときにシフトに入る代わりの人を見つけられなかったから。当に馬鹿な理由だ。 馬鹿みたいなことだけど、出来なかった。 中高といじめられてきて高校をなんとか卒業したときはボロボロだった。大学受験なんてやれる精神状態じゃなかった。 母は浪人すればいいと許してくれたが、父は浪人は許しても受験勉強もしないでゴロゴロ家にいるのは許さないと言われた。 それでファーストフード店のバイトの面接して受かって、でもバイト内でもどんどん馬鹿にされていって単純な仕事もミスばかりする無能で、そしてシフト代わることを頼まれると断れなかった。 どんどん休みたい人のシフトを交代してた

    引きこもって20年経ったが外に出たい
    nasuhiko
    nasuhiko 2019/12/04
    増田を応援する。参考になるかわからんが俺が受験失敗したときは家にいたくなくて勉強もせず朝から晩までママチャリで走ってた。郊外の美しさ、都会の華やかさ。そして次第に人恋しくなって3ヶ月くらいで復帰できた
  • 理三受験の思い出

    anond:20190102063518 こういうの書きたくなるね。自分が頑張ったことは思い入れがある。 微妙に書くところ間違えたので投稿しなおした。 ・小学生 関西の田舎の町立小学校に通っていた。友達がみんな塾に行っていたのが楽しそうだった。 「僕も行きたい」と親に言ったことがあったが、なぜか断られた。 自分が子を持った今なら分かるが、3人目の私にお金をかける余裕がもはやなかったのだと思う。家にはアップライトピアノがあって姉が習っていたが、自分は習いたいと言ってもお茶を濁された。 父は会社勤め。ホームレス気質の天才タイプ。母は専業主婦。真面目な秀才タイプ。親は教育に興味が無いわけではなかった。むしろかなり意識的な独自の戦略のようなものを持っていたと思う。 小6の夏休みに入ると、「レベルの高い学校に行くとめちゃくちゃ楽しい」などと、うまいこと母に言いくるめられて中学受験を決心した。 「力の

    理三受験の思い出
  • 数千円をケチって愛娘の人生を台無しにした馬鹿な親

    娘の大学受験地方在住40代男。娘の大学受験で、一人で東京のホテルに泊らせた時の事。 私がケチって一泊7000円くらいの客層の悪い安宿を予約したせいで、 娘がホテルでたちの悪い若者達とトラブルになった。 制服で受験にいったせいか、女子高生だとかなんとか騒がれて 娘は連中にロビーから部屋まで後をつけられ、 深夜にノックをされ、ドア越しに下品な言葉まで浴びせられたらしい。 小心者の娘は、泣きながらに電話してきた。 はホテルのフロントに苦情をいいなさいといった。 それだけじゃ心配だったので、すぐに私も直接ホテルの外線に電話した。 当直が出てきたが、たぶんアルバイトだろう。 一応は騒ぎは止んだらしいが、娘も私も不安でたまらなかった。 朝になってまた娘からに電話があった。 けっきょく朝まで不安でまともに眠れなかったらしく、 かなり自暴自棄になっていた様子だった。 結論からいうと受験は失敗した。

    数千円をケチって愛娘の人生を台無しにした馬鹿な親
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