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防衛と安全保障に関するnasuhikoのブックマーク (2)

  • 秋山信将さんによる「国防」と「安全保障」

    nobu akiyama @nobu_akiyama 故佐藤誠三郎先生が1999年にお書きになった「『国防』がなぜ『安全保障』になったのか:日の安全保障の基問題との関連で」(『外交フォーラム』1999年特別号)という論文があります。最近の安保法制の議論を眺めていると、この「国防」と「安全保障」の区別できてるのかなと感じます。 2015-09-02 21:40:54 nobu akiyama @nobu_akiyama 特に「抑止力」をめぐる言説を見ていて思うのですが、国防と安全保障のダイコトミーを使っていえば、日の「国防」という視点から抑止の対象になるものと、「安全保障」にとっての抑止の対象というのは異なっていることを皆さん意識して話をされているのかなと。もっと言えば、 2015-09-02 21:43:20 nobu akiyama @nobu_akiyama 自分が国防の話をして

    秋山信将さんによる「国防」と「安全保障」
    nasuhiko
    nasuhiko 2015/09/03
    安保法制反対派≒国民の過半数≒サヨク≒馬鹿、的なブコメがあるが、そうした態度が余計に反発を招いてるんだよなぁ。安保闘争時の左翼みたいな上から目線。どんなに素晴らしい論でもその態度では読む気なくなるわ。
  • 安保法制が否定されれば自衛官は死を覚悟して防衛するのだろう: 極東ブログ

    書こうかどうかためらっているうちに、すすっと時は過ぎてしまい、まあ、それでもいいやというとき、なにかもにょんとしたものが残る場合がある。今回も、ちょっともにょんとした感じがあるので、とりあえず書いてみよう。とま、ごちゃごちゃ言うのは、書く前から批判が想定されて、げんなり感があるからだ。最初に言っておきたいのだけど、以下の話は、安保法制を肯定せよ、という結論ありきで言うわけではない。日の防衛のありかたは日国民が決めればいいことだし、その結果がどうなっても日国民が受け止めればいいだけのことである。私は一市民として民主主義の制度の帰結を尊重するだけである。 さてと、で、なんの話かというと、安保法制が否定されれば自衛官は死を覚悟して防衛するのだろう、ということだ。こういう言い方は物騒なんで、もっと曖昧にすればいいのかもしれないが、自分のもにょん感がそこにあるのは確かなので、とりあえずそうして

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