内田樹の本は、どれを読んでも「ハズレ」がない。「現代思想のパフォーマンス」は難波江和英との共著だが、内田が担当している部分はその文章の流れで何となく分かる。 一方、「こんな日本でよかったね」は、収録された文章の多くがすでに「彼のブログ」で発表済みである。そのため、「あれ、これって読んだっけ?」といった「既読感」に襲われることになる。ブログに掲載済みの文章なのだから、たまたまブログで読んでいれば、当然に「既読感」を得るわけで、そこには何の不思議もない。 だが、翻って考えると、この種の「既読感」というのは、ブログ云々以前から読書という行為に付随するおなじみの感覚の一つではなかったか。その多くは、いうまでもなく読み手の側の記憶の混乱に起因するのだが、別の見方をすれば、この記憶の乱れは活字を追うというプロセスが生じさせる「夢想的な時間」の感覚でもある。読書を重ねることで、ようやく到達できる魅力的な