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  • ある違和感の正体 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    やっぱりね、「原発の是非」の話って違和感があるんですよね、今は。 別にやっちゃいけないっていう話ではないと思います。語るべきじゃない、だなんて僕は絶対に言いません。それは、僕がウェブでものを書く人だからです。僕が黙れと言うことは、僕が黙れと言われることと同じだから。だから、日のウェブが「不謹慎」さがしをしている空気になったとき、僕は、メディアの生態的な観点からの提言しかしなかったんです。「不謹慎」探しやめろ、とは言いませんでした。職業として、大小さまざまなメディアを眺めて来たからある程度はわかる。だから、メディアの生態的な傾向だけを書くことにしたのです。 たとえば、オープンなショートメッセージSNSであるtwitterは、震災直後、マスメディアの情報発信がまだ現実で起っていることに追いつかないときは、その敷居の低さと速報性から一定の役割を果たしたけれど、次第に批評、啓発、啓蒙の場になって

    ある違和感の正体 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    natukusa
    natukusa 2011/04/01
    “ある状況にセットアップしたとき、同意するしか人にメリットを与えない問いかけは、私は無効だと考えます。それが、問いかける方として、いかに効率がよくても。”
  • 「大衆の原像」をどこに置くか - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    そもそも「大衆の原像」なんてものはないんだよ、幻想なんだよ、今の時代ではすでに失われたものにすぎないのだよ、という言い方もできるし、その立場に立てば「どこに置くか」という問いは無効になります。でも、私にとっては、この問題は結構切実だったりもします。 「大衆の原像」というのは吉隆明さんの概念で、戦後知識人の転向というコンテクストで使われた言葉です。知識人がその知識なり思想なりに「大衆の原像」を繰り込んでいかないと、その知識は大衆から乖離していくよ、ある政治集団なり、知識集団なりに閉じられてしまうよ、そうした思想はいかに高度であっても欺瞞でしかないんだよ、みたいなことです。大雑把な理解ですが。 吉さんにとっての「大衆の原像」のイメージ。自分や家族が今日を生きることができ、明日もまた同じように生きることを望む存在で、それ以外の政治経済や思想などについては無関心である、というもので、それは戦後

    「大衆の原像」をどこに置くか - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • ソーシャルメディアとの距離の取り方 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    これからはネットの時代なんだよ。 そんなふうに語られていた頃は、じつはマスメディアとネットという構図をとりながら、その台詞を口にする人の頭の中では、じつは別の構図が描かれていたんだろうと思います。当は、マス広告とネット広告という構図ではなく、純広告的アプローチと非純広告的アプローチの構図だったりします。純広告ではなく、タイアップ、コラボレーション、口コミなどなどでうまくやれないか、ということだろうな、と。うまくやれないか、という言葉の意味は、安くやれないか、ということなんでしょう。 マス広告とネット広告ということなら、わりと話は簡単で単純。不特定多数に広く伝えたいのなら、Yahoo! JAPANなどの大手ポータルサイトのバナー広告なんかは、もはやマス広告と言ってもいいだろうし、ターゲットセグメントで言えば、雑誌に出稿するのも、セグメントされたサイトに出稿するのも、手法的にはほぼ同じであっ

    ソーシャルメディアとの距離の取り方 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    natukusa
    natukusa 2010/05/27
    >初期費用は限りなくゼロに近いけれど、そのぶん、じつは敷居は高い。
  • Thoughts on Flash vs Freedom of choice - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    どっちが正しいのかはよくわかりませんが、久しぶりに興奮しました。広告が届きにくくなったとか言うけどね、極限まで突き詰められたメッセージであれば届くんですよ。やっぱりね、広告っていうのはメッセージなんですよ。 ●    ● まずは、Appleのスティーブ・ジョブズが署名入りでウェブサイト上で表明。 http://www.apple.com/hotnews/thoughts-on-flash/ これを広告かと言えば、少し微妙なところがあるけれど、でもまあ、広告を「広告主が管理可能なメディアを通して広く社会にメッセージを伝える行為である」と定義すれば、これはまぎれもなく広告。というか、こういうのこそが広告。日語訳はこちら("Thoughts on Flash"(日語訳) - Kenichi Maehashi's Blog)。 で、このジョブズの表明に対してAdobeが反応。wired.com

    Thoughts on Flash vs Freedom of choice - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    natukusa
    natukusa 2010/05/14
  • 青空の美しさは雲の影がつくっている - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    撮影で、たまに雲待ちをすることがある。それはなぜかと言うと、たいがいの場合、曇り空が撮りたいからではなくて、いい青空を撮りたいから。雲のない青空は、メディアに通すと青空に見えにくい。 青空の美しさは雲の影がつくっている。ダイヤモンドが輝いてみえるのも、光の屈折でできる影の部分があるからだし、金色を平面で表現するのも単色では無理。 影の力は白黒にすればよくわかる。青空には雲がいるし、雲は濃淡があってはじめて雲に見える。逆に言えば、影さえしっかり表現できれば、ダイアモンドもゴールドも白黒でも線数が多少足りなくても、それなりに表現できてしまう。宝石のモノクロ写真を人は偽物だとは言わない。 今のメディア環境の変化から導かれる新しい広告コミュニケーションやブランディングは、つきつめると、影の部分が重要なんだ、ということでもあるのだと思う。それは、ことさら影を強調することではなくて、きっと、影を存在か

    青空の美しさは雲の影がつくっている - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 「表現の問題」についての覚え書き - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    このブログでは、アンチテーゼとして「表現の問題」という言葉をよく使ってきました。文脈は、広告コミュニケーションにおいて、想定するテーゼは「手法の問題」です。 「表現の問題」と言い始めた頃は、私はあまりウェブの仕事をしていませんでした。それでも、いくつかの仕事はしていて、印象に残ったもので言えば、Yahoo!トップページ右上のバナー(今よりずっと小さかった)でテレビCMをできる限り小さなファイルにすることで、ナローバンドでもなめらかに動くようにした仕事があります。4、5年ほど前の話です。 これは広告としては大成功でした。Yahoo!の媒体資料に事例としてしばらく出ていたんじゃないでしょうか。アイデアとしては、パラパラ漫画のようだったナローバンドのバナー広告がまるでテレビCMのようになめらかに動く。ただそれだけ。白ホリゾンで撮影した白色が多いCMだったから可能だったんですね。出演者も有名人では

    「表現の問題」についての覚え書き - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • radiko.jpで、AMラジオが息を吹き返すかも - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    関東と関西の民放AM局、FM局が参加するサイマルラジオ「radiko.jp」が始まりましたね。今は試験配信とのことですが、はてなブックマークでも2000を超えるブックマークを集めていたり(参照)、Twitterで多くの人につぶやかれたり、久々の大型の話題になっているようです。 ただし、現在のところ放送エリア以外の場所では聴けません。放送エリア以外では下のような画面が表示されてしまいます。 ラジオ好きのネットユーザーとしては、例えば、関東在住の人が関西のラジオを聴きたいというニーズはあるだろうし、サイマルラジオなら、当然そこを期待してしまうのですが、それは、まあ大人の事情ということですね。そこまで急速に時代は変わらない、ということかもしれません。 このradiko.jpがこれまでのインターネットラジオやポッドキャストと決定的に違うのは、民放のAM、FMの放送コンテンツが、CMも含めて何ひとつ

    radiko.jpで、AMラジオが息を吹き返すかも - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • いまどき感 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    前回のエントリー「そもそもの話として」は、いつもの3倍くらいのアクセスがありました。3月8日のアクセス解析を見てみると、早朝にアクセスが上昇していって、朝8時頃に急激なアクセスの増加。きっかけは、ジャーナリスト佐々木俊尚さんのTwitでした。 よみうり寸評のTwitter批判は、Twitterをやってない人だけに向けて書かれている。読者にTwitterユーザーがいることを想定していない。だから高齢者メディアとか言われちゃうわけだが。 http://bit.ly/aLsDnN 3:25 PM Mar 7th via web sasakitoshinao 佐々木俊尚 http://twitter.com/sasakitoshinao/status/10141153304 このブログの記事は、livedoorニュース「BLOGOS」にも編集部のセレクトで配信されることもあって、件のエントリは2日

    いまどき感 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    natukusa
    natukusa 2010/03/10
    あれ?はてブでタイトル変更できません?/二次利用への拡散の中で変化していく構造かー。確かに、ニコ動の状況みたいでいまどき感があるなあ。
  • 人が介在することの意義 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    とあるブログを見ていて、少し気になったこと。 そのブログにはGoogleのAdWordsが貼られていて、見ると、ブログの主張とは真逆の広告が表示されていたんですね。それ自体はとりたてて珍しい現象でもなく、ウェブの商業メディアでさえよく見かけることではあるのですが、でもやっぱり、AdWordsを表示しているそのブログを、広告モデルで運営されているひとつのウェブメディアと考えると、きつい現象ではあるなあ、とは思いました。ブログ主さんも嫌だろうなあ。がっかりだろうなあ。 例えば、ホメオパシーについて批判的な主張のエントリにホメオパシーの広告が表示されていたり。それはいくらなんでもなあ、と少し考え込んでしまいました。 読者である私は、そんな困った広告が配信されてしまうしくみを知っているから何とも思わないということはあるんです。でも、それは比較的ウェブについての知識があるから、というだけなんですよね

    人が介在することの意義 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    natukusa
    natukusa 2010/03/02
    なんとなくだけどGoogleはこういうの苦手そうだなあと思った。日YAHOO!は進んで開発・サポートしそう。Amazonたんは無差別。
  • パッケージングの問題 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    パーソナル領域のデジタル技術が成熟してきて、見えてきた問題があるように思います。 読書という体験に関しても、いまだ試行錯誤中だと言えどもデジタルでほぼ再現できるようになってきました。映像に関しても、YouTubeでみんなが楽しんでいます。子供を持つ親から聞く話では、テレビでアンパンマンを見ながら「パパ、今のもう1回見る」なんて言うそうです。生まれたときからパソコンがある環境で育った子供たちは、YouTube的な見たいときに何度も好きな映像を見られるということがネイティブになってきているようです。 アナログのレコードがCDになったとき、音楽ファンからはこんな話がでました。 「ジャケットが小さくなるのがさびしいよねえ。」 もちろん、それよりももっとあったのは、圧縮されたデジタルデータだから音質が悪くなるというような話でしたが、質がいいのに越したことはないけれど、日常の生活においては、多少の質の

    パッケージングの問題 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    natukusa
    natukusa 2010/02/05
    極端な話、電子書籍が普及した際に真っ先に職を失うのはパッケージを作っていた人だろうなあ。彼らの対応によって電子書籍の市場・文化の彩りが変わる。
  • NHKオンデマンドの苦戦に思う - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    朝日新聞によると、開始から1年を迎えるNHKオンデマンドが「今年度の収入は予算で見込んだ額の半分もいかない」とのことらしいです。 NHKの番組コンテンツはお金もかかっているし、相当に質も高いと思うので、このビジネスモデル自体がそもそも成り立たないのではないかという気持ちにもなり、いろいろ考えさせられます。 Macで見られなかったり、ストリーミングだったり、利便性の部分で問題もあるようですが、それが決定的というわけでもないだろうし、成り立たないのであれば成り立たないなりにきちんとした理由を知りたいとは思うんですけどね。でも、あまりうまい理由が思いつきません。 配信されるコンテンツは一度放送されたものだから、理論上は、テレビを持ってさえいれば誰もが無料で見られたものばかりということになります。ハードディスクレコーダーを使えば予約録画が簡単にできるし、その気になれば見たい番組をすべて録画しておく

    NHKオンデマンドの苦戦に思う - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    natukusa
    natukusa 2009/11/30
    >そもそも無料だったものだし、ゼロにいくらかけてもゼロだから、きっとその理屈は成り立たないでしょうね。/それに気づいちゃったら広告収入やDVD回収モデルも全滅するっていう。
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