山東省の故郷に家族と共に暮らしていたが、1944年9月、大東亜省によって華人労務者として雇用され、北海道雨竜郡沼田町の明治鉱業昭和鉱業所へ炭鉱労働者として送り込まれた。 1945年7月、仲間の労働者4人と共に脱走を図る。直後に仲間は次々と脱落していったが、以後13年間、ただ一人終戦を知らないまま山中を逃避行し続けた。 1958年2月8日、当別町の山中で穴ぐらの中に潜んでいる姿を農民が発見、保護された。その後、故郷へ帰国。 1996年、東京地裁に強制連行であったとして日本国を相手取り提訴したが、2000年、判決を聞かないまま本人が死去。裁判は劉の息子を原告として継続され、2001年に地裁では勝訴するが、日本国は控訴。 2005年、東京高裁は訴えを棄却。 欧陽文彬、『穴にかくれて14年―中国人俘虜劉連仁の記録』、新読書社、1959年 (三省堂版1972年、新読書社新装版2002年 ISBN 4