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twitterのアカウント @tamanoirorg を削除することにいたしました。一週間は現在の状態で残しますが、一週間後、削除する予定です。 ほぼ十五年前HPを開いた当時は、出来る限りオープンな形式が望ましいと考えており、実際、いただいたメールにお答えすると言う形で、有意義な意見交換ができたと考えております。ただし二年ばかり前から、少々異なる層の方ーー端的に言うなら、性差別的な視点から書かれた内容を悪意で歪め、全く明後日の方向を向いた中傷——時として性差別的な中傷を平然と書き立てる人が、時折目に付くようになりました。七月末からは悪意の纏めに煽られた人による嫌がらせの書き込みがクローズドにした後も続いたため(纏めた人自身がわざわざ別アカウントで潜り込んで来て嫌がらせコメントをして行ったのには驚きましたが)、一旦、削除することにいたしました。 今後暫くはブログでの更新を中心にする予定でおり
このような内容証明が、小谷野敦氏から届いている。 実際に名誉を傷付けられ公然侮辱されて受忍の限界を超えたということなら、実に可哀想だ、削除するかどうか検討してあげようと思ったのだが、残念なことにこの内容証明には、どのtweetのことかが明示されていない。こちらも過去に遡って見てみたのだが、名誉を傷付けたり公然と侮辱したりするような内容を含むものは発見できなかった。ただ、小谷野氏の著書「現代文学論争」が極めて多くの偏った主観による記述や事実誤認、錯誤に満ちていることを伝えたものが見付かっただけである。 それがどのようなものであるかの一例を、以下で指摘する。青が取り敢えず小谷野氏の間違いではない箇所、黄色は引用、赤で線を引いたのが、事実に即した客観的な記述とは言いがたい箇所だ。 1. 「筒井康隆の恩顧を被っていたらしく思われるが」 全く意味不明。勘ぐりがちな人々にあらぬ憶測を与える以外の意図が
「ここからは出られません」というのが、ブレット・イーストン・エリスの『アメリカン・サイコ』の結末だった。ここ四半世紀に書かれた小説のベストテンを挙げよと言われたら躊躇なく五位か六位に挙げる一篇である。アクチュアリティという点では一位に挙げたっていいかもしれない――世界も壊れているが人間も壊れていて、再生の見込みはどこにもない、という訳だ。 そんなの当り前だろ、というのが『アメリカン・ビューティ』の出発点である。善良で心の狭い人々が住んでいるのが売りの郊外住宅地にさえ、今じゃとっても感じのいいゲイが所帯を構えていて、誰もそのことを怪しまない、というのがこの映画の大前提だ。主人公の家庭だってもちろん壊れている。不動産仲介で結構な稼ぎのあるママの闇雲でプチブルな向上心にパパも娘も草臥れきっており、パパはある日敢然として社会の落ちこぼれとなることを決意する、というくらいに。そこへ、うちだけは絶対に
朝吹真理子「きことわ」は、当初入りこみにくく、途中までで放擲していたのだが、最後まで読むと、存外いい出来だった。貴子と永遠子が、七歳の年齢差があるように見えないという意見もあったが、その他「からがる」「年齢の差を差し置いてみて」など、おかしな日本語は気になる。 それについては改めて語ることもあろうが、さてここで私が嫉妬に狂って、あれは私の盗作だという妄想を抱くとどういうことになるかという例を示してみよう。 たとえば、永遠子の父親は時計修理職人であり、私の父親と同じである。ここで、ああっこれは俺へのあてこすりだ、という妄想が始まる。そして、これは「菊池涼子シリーズ」つまり『美人作家は二度死ぬ』『中島敦殺人事件』のパクリだ、という妄想が始まる。この主人公菊池涼子は、女子大の大学院の国文学の院生である。だから朝吹は読んだに違いない、と思い、最初のほうでは、同級生が小説を書いて、芥川賞の候補になる
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