没後30年。 見た目のこわもてと比べて、実は、梶原一騎(1936年9月4日~1987年1月21日)の「血中乙女ロマン濃度」は、驚くほど高かったのではないかと気づく、いまのわたくしなのであ~る。 吉屋信子の 「母もの」 をホワイトホールとすれば、その逆の吐き出し口であるブラックホールとは、梶原が「父性」に仮託した俗にいう「スポーツど根性ドラマ」といえるかも知れない。 そんな中、梶原は「あしたのジョー」の中で、自身の「血中乙女ロマン濃度」を上げながら、矢吹丈をめぐるふたりの女を「悲恋」に導くのだ。
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く