その方は、本当の意味で私の恩師だった。お亡くなりになったという一報に接し、この記事を一気に打とうと思う。 当時はもう、両親ともに重度の身体障害者になっていた。彼らの体調が悪い時は付き添いが必要になる。訪問看護が一般的ではなかったため、必要な時はタクシーに乗せて病院に付き添わねばならない。そのため私は学校を休みがちになっていた。 今後も欠席数が増えるはずだ。ずる休みだと思われないよう、思い切って担任の先生に家庭事情を話すことにした。三者面談より前のことだ。 本当はこの記事の内容は、もっと先に書こうと思ってたことなんだけれど。 こういう家庭で育ったので、私達は色々と差別偏見にさらされていた。福祉制度のお世話にならねばならない経済状況でもあった。 勉強ができれば奨学金をもらって大学に行ける。私はそこに人生の逆転を賭けていた。だから、自分で言うのは変なんだけれど、私は学区のトップ校の学年上位20番
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