2012年5月21日のブックマーク (2件)

  • 偏差値30、40台の学生を一流のITエンジニアにする教育法ゆとり教育の被害者を稼げる人材に変えよ!(その1)(田村 耕太郎) @gendai_biz

    偏差値30、40台の学生を一流のITエンジニアにする教育法 ゆとり教育の被害者を稼げる人材に変えよ!(その1) 数学なしでも一流ITエンジニアになれる この連載では今まで世界のエリート教育に重点を置いて紹介してきた。今回はボトムアップ教育について書いてみる。日にはエリート教育が足りないことは口を酸っぱくして繰り返してきた。しかし、今や日のボトムアップ教育も“ゆとり教育”のせいで崩壊の危機にある。ゆとり教育で“学力”と“知識”を失った日の若者は被害者だ。日の未来は若者が担っている。彼らの戦闘能力を底上げするしか希望はない。そこに果敢に挑戦し結果を出している事例を紹介する。 入学当時は偏差値30台、40台だった学生(中には不登校児も少なくない)を、東大や東工大の学生を押しのけて、日総研、ヤフー、日立ソフトエンジニアリング、リコーテクノシステム、アクセンチュア・テクノロジー・ソリューシ

    偏差値30、40台の学生を一流のITエンジニアにする教育法ゆとり教育の被害者を稼げる人材に変えよ!(その1)(田村 耕太郎) @gendai_biz
    nawatobi_penguin
    nawatobi_penguin 2012/05/21
    目を覚ますが”冷ます”と誤記されているのにモヤモヤ/専門学校の方が講義・実習に時間が取れるので短大・大学よりもいい場合があるのは本当。じゃあというと高専は今少ないし入るのも楽じゃない。
  • 【写真あり】徳川幕府最後の将軍が、意外と余生をエンジョイしていた【教科書に載ってない】

    徳川慶喜は大正2年、いまから約100年前まで生きていました。実は明治維新後の人生の方が長かった徳川慶喜の、“その後”は意外なものなんです。 徳川幕府最後の将軍といえば、徳川慶喜。 りりしいです。 在位わずか一年で幕府が崩壊。死罪必至でしたが、勝海舟らの交渉でなんとか免れました。さて、その後、慶喜は明治〜大正時代にどんな人生を送っていたのか? 最後の将軍は趣味に生きました。 当に多彩な趣味を持っていたのですが、たとえば、写真撮影。 カメラを持って、よく屋外に撮影に出かけたそうです。実際に徳川慶喜が撮影した写真は現代にも残っています。たとえばこれ↓ けっこう熱心で、当時人気だった写真雑誌『華影』にもたびたび投稿していましたが、なかなか採用されなかったそうです。 そして、油絵。慶喜の腕前はこちら。 結構上手いように見えるが、どうなんでしょう!? そして、ちょっと変わった趣味では、慶喜はなんでも

    【写真あり】徳川幕府最後の将軍が、意外と余生をエンジョイしていた【教科書に載ってない】
    nawatobi_penguin
    nawatobi_penguin 2012/05/21
    勝海舟が妻妾同居だったのとか福沢諭吉が180㎝の大男で適塾(西洋医術)に行ったのに医者にならなかったとか不思議がいっぱい!/子ども向け伝記でも勝海舟と福沢諭吉を読むと太平洋横断の節が随分違っていて面白い。