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ブックマーク / kenokano.blogspot.com (1)

  • 治療論 24. 人は皆それぞれ少しずつ「おかしい」ことを前提とする

    日頃患者さんたちや職場の同僚や友人たちと会っていて思うのは、みんなそれぞれどこかアブナイ面を持っているということだ。表題のように「おかしい」と言い換えてもいい。一見ごく普通に社会生活を送っている人の個人的な側面に分け入ると、皆バラバラの知識や能力をもち、バラバラなりに与えられた役割に適応し、しかしそれが小さな破綻をきたすときにはかなり子どもっぽい、ないしは不適応的な防衛を用いる。人は皆不完全なのだ。社会適応を遂げている人たちは、その不完全さを職業遂行の際は、何らかの形で補うことが出来ている、というそれだけである。 このことがどうして治療論に結びつくというかといえば、人は不完全であるということを治療者が前提としない限り、患者を分かることは出来ないであろうということだ。私はケース検討などでいつも不全感を感じるのは、まるで患者が病理の固まりのように議論をすることである。論じている人間もまた不完全

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