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ブックマーク / eboli.exblog.jp (3)

  • 受け継がれるもの : 漂流生活的看護記録

    去年のアルゼンチン滞在中と同じく、ちょっと隣のウルグアイまで友人に会いに行ってきた。ブエノスアイレスのホルヘ・ニューベリー空港(アエロパルケ)から飛行機で...去年のアルゼンチン滞在中と同じく、ちょっと隣のウルグアイまで友人に会いに行ってきた。ブエノスアイレスのホルヘ・ニューベリー空港(アエロパルケ)から飛行機で40分、ダルセナ・ノルテ港からブケブスがフェリーを出していて、直行便なら高速艇で3時間、コロニア・デル・サクラメント経由なら1時間、そこからバスに乗り換え約3時間でウルグアイのモンテビデオに着く。 わたしが訪ねた友人はウルグアイ最大手の政府系銀行に勤務していて、わたしが南米での医療系NPO活動をする資金関係もあり、直接顔を合わせることはなかったものの5~6年前からメールでのやりとりを細々と続けているだけの仲だった。しかし一昨年の震災の直後、彼はすぐに「もし必要ならウエスタンユニオン

    neko73
    neko73 2013/06/06
    "自分がその良いとされてる「日本のイメージ」の中のどこにいるのか、何を作り上げたのかということを考えるのである。"これは重要な視点だな。
  • 最後の敵 : 漂流生活的看護記録

    現在わたしのごく身近な人がガンであることがわかり、闘病中である。彼自身から病名をカムアウトされたとき、わたしは「それって・・・」と言葉に詰まった。医療者な...現在わたしのごく身近な人がガンであることがわかり、闘病中である。彼自身から病名をカムアウトされたとき、わたしは「それって・・・」と言葉に詰まった。医療者ならまず知らない者はいないぐらい悪性度の高い(予後の悪い)種類の腫瘍だったからである。たまたまその頃大学の死生学の講義でガン患者のインタビュー集を読まされていた時で、その中の「自分がガンであると告知されたときよりも、周囲の人々にそのことを伝える方が私にとってはずっと苦痛でした。そう伝えたとたんにみんながすうっと後ろに下がっていくように感じたからです。彼らの頭の中で私なしの人生がそこですでに始まっていました、私はまだ目の前にいるというのに!」という言葉を思い出し、彼にどういう言葉をかけ

  • 漂流生活的看護記録 : そんなふうに考えていた時期が、わたしにもありました・・・

    しぶしぶたたかうかんごふさん。ワシントンに来ても、ほとんど英語を使わない。ホテルのテレビもUNIVISIONとGALAVISIONという、スペイン語放送を見ているので、なんか懐かしいコントばっかりやってるバラエティ番組とかこってり濃ゆいテレノベラとか、奥様情報番組の「Despierta America」とかそんなのばっかり。これがメキシコとかそっちの放送局ではなくアメリカ国の放送局で、スペイン語だけでも十分アメリカ国内の情報が入ってくるので、全くこちらの英語放送を見ないのである。そしてある日、わたしがTVを見ていたところにベッドメイクのおねえさんがやってきて、わたしが「La Hora Pico」という、日でいうと昔あった「笑う犬の生活」みたいなバラエティ番組を見ていることに気づいて「あなたスペイン語わかるの?」と言うので「ごめん、英語よりわかる」と答えたら「もう、早く言ってくれたらよか

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