言及されましたに関するnekoishiのブックマーク (13)

  • ブログで文章能力が上がると言う錯覚 | Blog向上委員会

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  • 感情のある文章 - Blog向上委員会 - 明日は明日の風が吹く

    ■[ネット]感情のある文章 - Blog向上委員会 私が読む限りでは、Blog向上委員会上の文章からは、感情を感じる。抑えているようにも思うが、それでも感情が伝わってくる感じがする。時には苛立ち、時には混乱、時には喜びや楽しみ……勝手に読み手の私が思い込んでいるのかもしれないけれど、そういう感情を感じる。 感情が露骨に出ている文章も楽しいけれど、抑えている中から見えてくる感情という物も味があって好きだ。私はどちらかというと、感情が露骨に出る文章を書く方なので、最近はやや抑え気味にしてみたりする。バランス良く出せたら良いのだろうけどね。自分語りやってると、どうしても感情が前に出てきてしまうから、その辺りをどう調整するかが最近の悩みの一つでもある。 感情を表す為に言葉は非情に有効だと思う。顔色を読むとかそういった方法もあるけれど、ネット世界では言葉が主体になる*1。そこで自分の思う事、考える事

    nekoishi
    nekoishi 2007/05/28
    ただ感情的な言葉を並べるよりも、文章でその思いが伝わればいい。
  • 適度な感情が垣間見れる文章 - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園

    Blog向上委員会 感情のある文章」を読んで。 最近、インプット量が増えすぎて何も書けない状態に陥っている気がしてならない。RSSで数百件の記事を流し読み、結局、何も得られない状態が続いている。何も沸き起こってこないのだ。「できるだけ細かくその記事、文章を読む、そして考える」、そうやってアウトプットってされるのかな。 mizuno氏も私と似たような状況であったのか。私は、たとえ流し読みとはいえ数百件の記事を読むだけの時間もないのだが、それでも時間が許す限り興味の持てそうな記事を読んではいる。だが、最近ではなかなか自分語りが出来なくなっていた。氏は、書かれている文章を細かく読んでよく考えれば書けるのだろうかというような事を書いているが、私の場合はそうすれば書けるというものでもないようだ。少なくとも私が思わず書いてしまう場合は、脊髄反射的なものであり、氏が書かれたこの記事を読んだ事で、瞬間勢

    適度な感情が垣間見れる文章 - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園
    nekoishi
    nekoishi 2007/05/28
    見てもらった文章は中国語だったから、相手がそう思ったのかも。
  • 無感動を否定するために反応し続けているのかも。 - こんな世界のはしっこで・・・:楽天ブログ

    Oct 17, 2006 無感動を否定するために反応し続けているのかも。 (2) カテゴリ:心理・思考 話さないくせに【無題さま】 私は、興味のあることとないことにおける、気持ちの落差が激しい。興味のあることにはそれなりに関心を示すのだが、それ以外のことには全く無関心で、そのそぶりも見せることができない。 私は内気な性格である。自分から話さないし、話しかけられてもそこから話題を広げようとしない。他者と接している私の前には自然と見えない壁が出来てしまう。こうやって今まで生きてきた。そんな生活が長く続いた所為か、何事に対しても無関心な自分がいつの間にか造られていた。私も内向的だし、こういう傾向は持っている。とはいえ、自分の興味や関心がある話なら、できる範囲で反応をかえしてみたりはしている。ただ、うまくいかないことも多い。 私は誰かとコミュニケーションをとること自体に関心がないのだろうか? いや

    無感動を否定するために反応し続けているのかも。 - こんな世界のはしっこで・・・:楽天ブログ
  • クリップされなかったからって、ダメなわけじゃない - こんな世界のはしっこで・・・:楽天ブログ

    Oct 5, 2006 クリップされなかったからって、ダメなわけじゃない カテゴリ:ネット・サイト はてブだけが全てではない 【無題さま】 確かにはてブにクリップされる記事の傾向は偏っている。面白いサイト、記事でありながら、クリップされにくい、あるいはされない記事やサイトもいっぱいあると思う。「はてブは一つのニュースサイト」っていう言葉があったように思えるが、まさにそんな感じだろう。 だから、別にuser数が伸びなかったから、あるいは0だったからといって、その記事がダメってわけじゃない。 これは何もはてブだけじゃなくて、ニュースサイトに関しても同じことが言えると思う。ニュースサイトを管理する人たちが紹介する記事やサイトにも、明らかにその人ごとに傾向はあるだろう。 だから、別にニュースサイトに紹介してもらえなかったからといって、その記事がダメってわけじゃない。 はてブで大量のuser数を集め

    クリップされなかったからって、ダメなわけじゃない - こんな世界のはしっこで・・・:楽天ブログ
  • その人なりの文章を読みたいが為に - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園

    BLOG STATION:ブログの向こうには「人」がいる」を読んで。 ブログの読者が、知識や情報を求めているか、それとも、記事を書いた人に興味を持って読もうとするかは、人によって差があると思います。僕は人に興味を持っていると前述したばかりですが、実際には、僕自身、両方を使い分けているわけですし、そういうひとが多いのではないでしょうか。 私もkanimaster氏と同じように記事だけに興味を持ったり記事を書いている人に興味を持ったりと両方の目で他人のブログを見ている。 だが、mizuno氏は「書いている人がどんな人であろうと、まったく興味ない」(「Blog向上委員会 ぐるぐるまわるよどこまでも」より抜粋)と書いていた。が、しかし、恐らく今ではそれも少々違ってきているのではないかと推察する。 私が何かと氏に突っかかったような物言いをして、何故そういう言い方をするのかを不思議に思い、私の書いた

    その人なりの文章を読みたいが為に - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園
    nekoishi
    nekoishi 2006/09/05
    されていないけど、かすったと言うことで。
  • 此れからも一つ宜しく - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園

    Blog向上委員会 リハビリ中」を読んで。 今度は「ブログの存在に自分が追い込まれないようにしたいな」という意識。 そうだね。そして、無理なく自然体でブログを書き続けて行って欲しい。 新しいブログを教えて下さり、有難う。此れからも読ませて頂く。宜しく。 【追記】mizuno氏へ。如何致しまして。

    此れからも一つ宜しく - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園
    nekoishi
    nekoishi 2006/08/13
    ありがとう
  • 願うは過去ログ残留 - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園

    Blog向上委員会 閉鎖宣言後記」を読んで。 mizuno氏が閉鎖宣言をした後にこのような後記を書くとは思わなかった。成る程、それ程私は氏の性質を知っていたわけじゃないんだなと一頻り反省。そう言えば何方かが、前にも似たような事を言っていたと書いていたな。 私は、好みのブロガーの過去ログは読破する事を以前にも言っていたが、最近ではその時間が取れないという事で何人かのブログは未だ過去ログ読破に至っていない。氏のブログもその一つだった。だから、それもあり、私の正直な気持ちとしては、過去ログはそのまま残して欲しいと思っている。 だが、これも此方の我侭な願いであるので、コメント欄でえっけん氏が言っているように、自分の負担になるというのなら削除も止むを得ないだろう。それに、私は読んだだけでは済まない場合もあるからな。如何しても書かれた内容に言及したくなる事もあるから。それを氏が望まないような気もして

    願うは過去ログ残留 - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園
  • 閉鎖を決めたあなたにエールを送る - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園

    Blog向上委員会 閉鎖」を読んで。 mizuno氏の記事は何度か取り上げて書かせて貰った。辛辣とまではいかないが、結構否定的な意見も書いたように覚えている。だが、氏の書く物は私に何かを書く気にさせる文章という事で好みだったのだ。 例えば朝起きて、今は夏休みだけど、学校に行って、学校に行っている間もブログのネタを無意識の内に探しているような気がして、ネットを開けばRSSに登録されているブログ論を片っ端から読んで、はてブを巡回する。そんな日々の繰り返し。 此処に書く以前の私もそれと似たような状況だった。それは日常的な日記を書いていた時代の事だ。ネットを離れた現実の世界で、常に日記に書くネタを探していたように思う。ただ、私はそれを苦痛には感じていなかった。むしろ日々を生きる為に必要な事でもあった。ともすれば厭世的な目で世間を見てしまう傾向のあった私である。そんな私をこの世に繋ぎ止めてくれるの

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  • ブログで日記を書かないという選択もある - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園

    Blog向上委員会 だから何?」を読んで。 別にあなたのために書いているわけではないし、そんな一行だけのコメントを残すぐらいなら、今後このブログを読まなくても私はぜんぜんかまわない。書き手には書く自由があり、読み手は読む自由があるのだから。 私の屁理屈なのかもしれないが、読み手には読む自由があると言うのなら、読み手が一行だけのコメントを残すために読む自由もあると私は思ったのだが。これもまた私の誤読なのだろうか。 私はウェブだから何を書いてもいいという認識が常識であるとは思っていないが、何を書いてもいいと思う人間だ。だが、私自身は書くつもりは無い。ただ、書く人間を非難するつもりはないし、自分に対して不愉快な事を書かれたとしても何も抗議はしないだろう。といっても断言は出来ない。全てはその立場になってみないと分からないからだ。しかし、そうありたいとは思っている。それが私の理想という事なのだ。

    ブログで日記を書かないという選択もある - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園
    nekoishi
    nekoishi 2006/06/26
    否定的なコメントが来るたびに、私が日本人だから、と考えてしまうのですよ。
  • ウェブ上では、書く事は伝えることに、読むことは受け取ることに繋がるのかもしれない - こんな世界のはしっこで・・・:楽天ブログ

    Jun 25, 2006 ウェブ上では、書く事は伝えることに、読むことは受け取ることに繋がるのかもしれない カテゴリ:ネット・サイト だから何?【Blog向上委員会さま】 コメントを書くとき、私は常に受け取る相手のことを頭の片隅で意識している書いているつもりです。そもそもコメントに書くということはそういうものだという思いがある。そうでなければ、コメントを考えるたびに前回の記事みたいなことは起きないだろう。まあ、私の場合、少し考えすぎなところがあるのかもしれませんが。 だからということもあって、わたしの言葉のほとんどは、ブログやはてブなどの「自分の場所」から発せられていたする。でも、ここも「自分の場所」ではあっても、「自分だけの場所」ではないのだと思う。そこに書かれる言葉は私だけに伝わるだけじゃないのだし。 ウェブ上のやりとりは、基的に画面越しで行われる。だから、意識しなければ伝える相手の

    ウェブ上では、書く事は伝えることに、読むことは受け取ることに繋がるのかもしれない - こんな世界のはしっこで・・・:楽天ブログ
  • 非公開で書いている事を言ってしまう心理とは? - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園

    Blog向上委員会 ブログを非公開にする」を読んで。 ブログを非公開で書く事を否定するわけではない。ただ、矢張り私はそうであれば「非公開で書いているよ」とは決して口に出さないで欲しいと思う。大して興味も持っていない相手であったとしても、何回か続けて読んでいるとなれば、その非公開の場所で何を書いているのだろうかと多少は気になる私である。だから、それが強く興味を抱いている相手だったとしたら、気になって仕方なくなるだろうと容易に想像が出来るからだ。人が言うように、当に下らない物だったとしても、私はきっと読みたいと思うだろう。 そういう事で、私は「非公開で書いているよ」とは言って欲しくないのだ。 誹謗中傷のような類ではない。主張などでもない。もちろん他所にリンクを張るような言及などでもない。このようなことを書いて非公開にしていたのでは、逆に始末が悪いとすら思ってしまう。 では公開しても良いで

    非公開で書いている事を言ってしまう心理とは? - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園
    nekoishi
    nekoishi 2006/06/16
    確かに自意識過剰かも。ただ、ちょっと違う、私の言いたかったこととは。非公開ブログを作る人の気持ちをただ紹介したいだけだったのかもしれない。
  • 可能性も待っているだけでは駄目なのだな - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園

    Blog向上委員会 開かれた世界へ」を読んで。 サイトで日記を書いていた頃はアクセス数なども人並みに気にしていたものである。だが、アクセス数よりも私は相手との対話をしたい人間であったので、私の書く日記に対して誰かが自分の考えを書いてくれ、そして更に私がそれを題材にして日記を書くという行為が好きだった。 だが、それが続かなくなったのも人間関係を築き上げるのが下手な私のせいでもあったのだ。感情的な人間でもあり感情的なものを書いていた私であるからそれは至極最もな経緯ではあったのだが。 しかし、感情的な人間であっても上手く関係を続ける事も出来るだろう。それもあり、私は感情を抑える書き方がいいのではないかと思った。それが私が感情を抑えて書く由来である。 だが、例え感情を抑えて書いたとしても誰も相手にしてくれないと流石の私も書き続けるモチベーションが続かない。幾ら好きなように他人など気にせずに書くの

    可能性も待っているだけでは駄目なのだな - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園
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