官職の等級が分不相応に高くなりすぎて負担が増し,かえって不幸な目にあうことをいう。《承久記》には,後鳥羽上皇が討幕を決意した確実な証拠として,源実朝が希望する以上に彼の官位を昇進させ,〈官打〉にしようとしたこと,ほかがあげられている。確かに,1218年(建保6)に入ってから実朝の昇進は尋常でなく,正月に権大納言に昇ったのを皮切りに,左大将,内大臣を経て,暮れには右大臣に至った。実朝が暗殺されたのは翌年正月であり,あまりの符合に,《承久記》の説を承久の乱後の付会とする見方もあるが速断できない。
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今日のキーワード 五節舞 日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...
〘 名詞 〙 著書や発表した記事、論説などが、官府の忌諱(きい)にふれて、制裁を受けること。また、書くことによって受けるわざわい。[初出の実例]「去るほどに、坡がひっくゎにかかりて賓州へ流されつ、何としたぞ」(出典:両足院本山谷抄(1500頃)三) 文字の獄。著書や新聞雑誌その他に発表した文章が,権力批判,風俗壊乱を理由に官憲の処罰の対象となり,体刑,罰金,発売禁止などの処分をうけること。出版による文学や言論の広範な普及に対処するために,国家機関が検閲制度を強化するにしたがって筆禍の事例は増加するが,日本では宮武外骨の《筆禍史》(1911)に〈筆禍の史実は此徳川時代に入りて,政治史の片影と見るべき社会的事象の一と成りしなり〉とあるように,木版印刷が盛行する江戸時代初期から,出版物の取締りがはじまっている。山鹿素行が《聖教要録》,林子平が《海国兵談》により,それぞれ幕府から処罰をうけたことは
〘 名詞 〙① 中国で、帝王がその位を子孫へ伝えないで有徳者に譲ること。堯が舜に、舜が禹に帝位を譲った類。[初出の実例]「ただ二十一史を読み、二十二史をよんでも、禅譲討伐の事だけは支那を学ばなかったのである」(出典:国民性十論(1907)〈芳賀矢一〉一)[その他の文献]〔後漢書‐逸民伝論〕② 天皇または支配者がその位を後継者に譲ること。譲位。[初出の実例]「禅譲、尊号つねの如し」(出典:神皇正統記(1339‐43)中)③ 一般に、権力の座を話し合いで譲り渡すこと。
今日のキーワード 選挙公営 国または地方公共団体が個々の候補者の選挙費用の一部または全額を負担すること。選挙に金がかかりすぎ,政治腐敗の原因になっていることや,候補者の個人的な財力によって選挙に不公平が生じないようにという目的で...
[名・形動]《「霊怪録」による》 1 天人の衣服には縫い目のあとがないこと。転じて、詩や文章などに、技巧のあとが見えず自然であって、しかも完全無欠で美しいこと。また、そのさま。「天衣無縫な(の)傑作」 2 天真爛漫てんしんらんまんなこと。また、そのさま。「天衣無縫に振る舞う」 3 ⇒九連宝灯チューレンパオトウ [類語]無邪気・初うぶ・ういういしい・あどけない・いたいけ・無心・天真爛漫・イノセント・罪が無い 〘 名詞 〙 ( 形動 )① ( 「霊怪録」の「郭翰、乗月臥二庭中一、仰視二空中一、有レ人冉冉而下、曰、吾天上織女也。徐視二其衣一竝無レ縫。翰問レ之、曰、天衣本非二針線為一也」による ) 天人の着物に縫い目のような人工の跡がないこと。転じて、文章、詩歌などに技巧のあとが見えず、ごく自然にできあがっていてしかも完全で美しいこと。また、そのさま。[初出の実例]「此詩の如き真個の唐調にて天衣無
哲学で、すべての事象は、必ずある原因によって起こり、原因なしには何ごとも起こらないという原理。物理学では、どの形式で事象を記述するかによって意味が異なる。古典物理学では、哲学と同じくすべての事象の原因と結果の間に一定の関係が存在し、原因は結果より時間的に必ず先行すると考え、ある時刻の系の状態が与えられれば、それ以後あるいは以前の系の状態が必然的かつ一意的に決定する。一方、量子力学においては、系の状態に因果性はあるが確率的に記述されるため、系の物理量の測定値を古典物理学のように確定的に予測することはできない。また、相対性理論においては、事象の時間的な前後関係が観測者によって異なる場合があるため、物体や場の変動(情報を伝える信号など)は光速度を超えて伝播しないという制限を課すことで因果律とする。→因果律の破れ 物理学においては因果律は次のような意味に用いられている。古典物理学では,原因があって
庚申の日に徹夜して眠らず,身を慎めば長生できるという信仰。 庚申の信仰は,晋の葛洪(かつこう)の《抱朴子》に,人間の体内には三尸(さんし)がおり,庚申の日に天に昇って,寿命をつかさどる神に人間の過失を報告し早死させようとすると記すことに由来する。くだって梁の陶弘景の編纂した《真誥(しんこう)》には,庚申の日に,夫妻は同席せず,終夜,尸鬼の警備にあたるべきことが説かれ,北周の《無上秘要》には,この日,昼夜,清斎して神を思えば三尸は天に昇って人の罪状を告げることができないと述べている。したがって庚申信仰の原形は南北朝時代には確立されていたとみられる。ついで晩唐の許渾の詩には〈守庚申〉の集まりのことが見え,段成式の《酉陽雑俎(ゆうようざつそ)》には,7度,庚申を守れば三尸が滅するとされ,宋の《雲笈七籤(うんきゆうしちせん)》にも,同様のことをのべる。また宋代の善書《太上感応篇》には,《抱朴子》の
〘 名詞 〙 神の冒しがたい権威や、神の持つ絶対的な力。[初出の実例]「祈祷大宰所部神九処、実頼二神威一遂平二荒賊一」(出典:続日本紀‐大宝二年(702)一〇月丁酉)[その他の文献]〔劉基‐贈柯遂卿詩〕
神職の名称の一つで,神職の総称としても用いる。もっぱら,祭祀に従事する。伊勢神宮では,祭主,大宮司,少宮司の下に禰宜を置いた。その起源については荒木田(あらきだ)神主などの遠祖である天見通命がはじめて補任されたとする(《皇太神宮儀式帳》)。その定員は《延喜式》では内宮・外宮各1員と定めているが,その後逐次増員されて,1304年(嘉元2)以降10員となり現在に至っている。10員の禰宜は,その任叙の次第によって一禰宜,二禰宜などあるいは一神主,二神主などと呼ばれ,第一の者を長官(ちようがん)と称した。中世以降,神領の退転とともに大神宮司の行政力が弱まると同時に,長官の権能が増大し,神宮いっさいの事務および祭祀を管掌した。両宮の禰宜には,古くは荒木田神主(荒木田氏),根木(ねぎ)神主,度会(わたらい)神主(度会氏)の3姓のものを任用してきたが,根木神主が絶えたため,中世以降皇大神宮は荒木田,豊受
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