細野晴臣氏が作った『北京ダック』という曲がある。 光る街・雨に濡れた横浜、迷い込んだ中華街は火の海。 赤く燃える家鴨は北京ダック。 赤い靴を履いた女の子が北京ダックを胸に抱えて逃げる。 中華街が火事? なんてとんちんかんでシュールな歌詞にエキゾチカなサウンド。 古い無声映画を見ているようでお気に入りのナンバーだ。 横浜中華街。 いつの時代もひとびとの胃袋を満たしてくれる身近な異国。 中華街の歴史は横浜開港とともに動き出す。 外国人の居留が始まると、その一角に広東から来た華僑の商人が住み始めたのがルーツ。 その歴史は、150年以上になる。 理髪、洋裁、料理という刃物商売を営む華僑たち。 明治には中国料理店・聘珍楼が開店。 大正の震災、横浜大空襲をくぐり、戦後食糧難の時代にもひとびとの胃袋を満たしてきた中華街。 1972年の日中国交正常化以降、横浜を代表する観光地になっていった。 私も両親に連