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2020年3月15日のブックマーク (8件)

  • 車が通れない道にはチェーン店がない~ストへぇ白楽の見どころ

    今回のダイジェスト ・家系ラーメンの御三家は「吉村家」「牧家」「六角家」(六角家は閉店) ・白楽駅付近よりも六角橋周辺がにぎわっているのは路面電車の終点だったから ・港町は坂の町が多い。すぐ深い海に面している土地が港に向いているので。 ・横浜は高台に金持ちが住んでいる ・「洪福寺松原商店街」「六角橋商店街」「横浜橋通商店街」が横浜三大商店街 ・六角形の箸が六角橋の地名の由来(諸説あり) ・六角橋商店街、仲見世通りには古い店と新しい店が共存している ・車が通れない道にはチェーン店ができない ・横浜港はかつてお茶の出荷量日一だった ・高度経済成長以前の町には八百屋と肉屋がある。それ以降の町にはスーパーがある 豆知識を披露するのは白楽に詳しいデイリーポータルZライター井口さん、地理人・今和泉さんです。 西村さんは豆知識をジャッジする役割です 家系ラーメンの御三家は「吉村家」「牧家」「六角家

    車が通れない道にはチェーン店がない~ストへぇ白楽の見どころ
    nekotuna
    nekotuna 2020/03/15
  • 3月10日(火) - 帰ってきた炎の営業日誌|WEB本の雑誌

    nekotuna
    nekotuna 2020/03/15
    『この短期間にこれだけの分量の、そしてこれだけの愛情つまった雑誌を作れた編集部を誇りに思う。』ただただ感謝。
  • チンチン電車 里帰りなるか  引退車両 長崎から小田原へ | 小田原・箱根・湯河原・真鶴 | タウンニュース

    かつて小田原駅―板橋駅の国道1号線を走り「チンチン電車」の愛称で親しまれた路面電車を、小田原に「里帰り」させようというプロジェクトが3月7日に立ち上がった。車両を保存していた長崎電気軌道(株)(長崎県)の譲渡先募集を受けての動きだ。 路面電車は、1935年から56年まで箱根登山鉄道(株)の「町内電車」、市制施行後は「市内電車」として営業していた。廃線後に長崎電気軌道へ車両が譲渡され、1970年代まで現役車両として活躍。近年はイベントで活用され、昨年3月に引退した。 鉄道愛好家の団体・小田原鉄道歴史研究会(小室刀時朗会長)では、そのタイミングで一度、車両譲渡を打診していたが、アスベスト使用の可能性があるとして断られていた。その後の調査で不使用が確認され、譲渡可能との連絡があったという。 長崎電気軌道では、車両は原則無償譲渡としているが、運搬費用は申込者の全額負担。また、希望者が複数の場合、譲

    チンチン電車 里帰りなるか  引退車両 長崎から小田原へ | 小田原・箱根・湯河原・真鶴 | タウンニュース
    nekotuna
    nekotuna 2020/03/15
    へえ!小田原の市内電車の車両が現存しているんだ!なんとか里帰りさせてやりたいね。
  • 上北沢と下北沢はなぜ「上下」? 「暗渠」を見つけると、街の景色が変わって見える | ダ・ヴィンチWeb

    街を歩いていると、人や自転車は通れるが車止めがあって車は通れない、もしくはフェンスなどがあって人も進入できない、細長く続く道や微妙な空き地に出くわすことがある。じつはそれ、もともと川や水路だった「暗渠」である場合が多い。しかし暗渠を発見したことを誰かに興奮気味に話しても、だいたいは「ふーん」という、なんともつれない反応があるだけだった。 ところが最近では『ブラタモリ』などのおかげもあり、街歩きに「土地に残された過去の痕跡を見つける」という視点を取り入れることが広まって、話に興味を持ってくれる人も増えてきたように思う。これまでは街の過去の痕跡についてのまとまった研究や書籍は少なく、ひたすら自分の足で歩き、痕跡を見つけ、話を聞き、図書館などで調べることが必要だったが、近年ではそうした街歩きのための書籍やアプリも充実しており、地形や坂、古地図、建築物など様々なタイプが揃っている。 そしてついに「

    上北沢と下北沢はなぜ「上下」? 「暗渠」を見つけると、街の景色が変わって見える | ダ・ヴィンチWeb
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    nekotuna 2020/03/15
  • まるで異世界! 東京は『暗渠パラダイス!』――高山さん、吉村さん、「暗渠」ってなんですか?【目黒と品川の境目を行く暗渠散歩】 | ダ・ヴィンチWeb

    『暗渠パラダイス!』(高山英男、吉村生/朝日新聞出版) 暗渠――それは古からの流れ(川や水路)に蓋をした場所だ。水面は見えなくなってしまったが、今もその下には流れがある(川が生きている場合もあるし、排水用などに転用されていることもある)。普段何気なく歩いている道も、実は暗渠であるということはよくある。そんな暗渠を愛し、日のみならず世界へまで出かけて狩猟・研究するのが『暗渠パラダイス!』(朝日新聞出版)の著者であり、「暗渠マニアックス」として雑誌への寄稿やトークイベント出演などの活動を行う高山英男さんと吉村生さんだ。そんなお二人をガイドにお迎えして、実際に暗渠散歩を敢行した。

    まるで異世界! 東京は『暗渠パラダイス!』――高山さん、吉村さん、「暗渠」ってなんですか?【目黒と品川の境目を行く暗渠散歩】 | ダ・ヴィンチWeb
    nekotuna
    nekotuna 2020/03/15
    こういう記事を読むと、東京郊外の距離感が自分にはイマイチ掴めないことに気づくね。
  • なぜ意識の高い人が苦手なのか問題|望月 大作

    これは生理的なものなのかも知れない。そんな問題。昔から声高に何かを叫んでいる人が苦手だ。もちろんその叫ぶ色にもよるんだけど。お前も意識高いじゃないか。という声がどこからか飛んできそうなんだけど、人にその意識は全くない。十中八九も面白いと思った人やコトを記事化しているだけに過ぎない。 もしかすると意識の高い人は「言っている」だけで具体化したものが伴っていないと感じているからなのかも知れない。 僕の場合はとりあえず始めてみてチューニングすることに重きを置いている気がする。自分に合わせるのが嫌いで、出来るだけいる環境に合わせてチューニングを図ることを善しとしている。 なんで口だけの人がこんなに嫌悪感が出るようになったのか。それはその場限りで素敵なことを言う人に出会うことが多くなったからなのかも知れない。あとは小さいころから出来ないことは言うなと親に言われて育ったことも大きく関わっている気がする

    なぜ意識の高い人が苦手なのか問題|望月 大作
    nekotuna
    nekotuna 2020/03/15
    『お前も意識高いじゃないか。という声がどこからか飛んできそうなんだけど、本人にその意識は全くない。十中八九も面白いと思った人やコトを記事化しているだけに過ぎない。』
  • 130周年「秦野水道」、記念ラベルでPR 秦野市 | 話題 | カナロコ by 神奈川新聞

    「おいしい秦野の水・丹沢の雫」の記念ラベルを手にする中込さん=秦野市役所(同市提供) 横浜、函館に次ぐ全国3番目の水道設備として、秦野市民の生活を支えた「秦野水道」が、15日で完成から130周年を迎えた。現在は役目を終え、遺構を残すのみだが、市はその意義と歴史を後世に伝えようと記念の取り組みを企画。「先人の努力に思いをはせてほしい」と話す。 秦野水道は1890(明治23)年3月、同市水神町で竣(しゅん)工(こう)した「曽屋水道」が始まり。それまでは湧き水を用水に流していたが、コレラの発生を機に住民が資金繰りや工事計画を考え、陶器製の管を使った水道を敷設した。住民が主体となって運営する簡易陶管水道は全国初で、2017年10月には国登録記念物(遺跡関係)となった。 130周年を祝い、市は旧曽屋配水場のある曽屋公園を「曽屋水道記念公園」に変更し、今月13日には新名称を刻んだステンレス製看板を入り

    130周年「秦野水道」、記念ラベルでPR 秦野市 | 話題 | カナロコ by 神奈川新聞
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    nekotuna 2020/03/15
  • 青土社 ||ユリイカ:ユリイカ2020年5月臨時増刊号 総特集=坪内祐三

    “追悼読み”に捧ぐ手向けの花 坪内祐三はよく飲み、よく歩き、よく観て、なによりよく読んだ。雑誌を読み、小説を読み、評論を読み、ノンフィクションを読んだ。そして書いた。ひたすらに書いた。そこには徹底した自意識が敷かれていた。坪内祐三とはテキストと不即不離に結びついた行動の日々である。追悼文を読み、追悼の営為を問いつづけた坪内祐三の追悼特集。 【目次】 総特集*坪内祐三――1958-2020 *グラビア 文壇アウトローズ・ファンキーナイト *Last Waltz 東京の人・坪内祐三 / 小沢信男 引用 / 山田稔 坪内祐三君を悼む / 康芳夫 レクイエム / 福田和也 回想・坪内祐三 / 佐伯一麦 風去りぬ――坪内祐三氏を悼む / 西村賢太 酔っ払いの天使 / 戌井昭人 *坪内祐三を探せ 坪内祐三の「文学」が気になって / 平山周吉 そんじょそこらの研究者より…… / 武藤康史 三月十一日 /

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    nekotuna 2020/03/15