私は今25歳で、父と母はもうすぐ60歳になる。私はこの年齢でもアニメを見ることが好きだし、日本が誇るべき文化だと思っている。だがうちの両親は違う。アニメは子供の見るもので、幼稚で、気持ちの悪いオタクのための遊びだと考えているようだ。 私の両親はどちらかというと田舎の方に住んでいる。私の知り合いの22歳の女の子は、母親と一緒に深夜アニメを見ると言っていた。その子は東京出身だ。母親の年齢も、うちの両親より若いだろう。私は親と一緒にアニメを見るといく発想がそもそもなくどちらかというと馬鹿にされてイライラすることを回避するために隠れてこっそり見るものだと思っていたので、その話を聞いたときは衝撃的だった。 これは本当かどうかわからないがいまの中高生は、オタクであることやアニメを見ることを恥ずかしいと思わないらしい。そんな世代が羨ましくてしょうがない。 恐らく、この傾向は都会であればあるほど顕著なはず
論理的思考とは他者が自分の思考過程を検証できるように思考を進めていくこと、あるいは、そのような思考の進め方のことを言う。他者が自分の思考過程を検証できるようにするということが論理的思考の特徴である。 なぜ、論理的思考が必要になるのかと言うと以下の二つがその理由 説明:自分の考えていることを他人に理解してもらうため 可視化:何かを考えるときに「他人の目」を自分の内部に導入するため そもそも、他人に説明したり、理解してもらう必要がないならば論理的に思考する必要はない。直観や霊感にしたがって何でもやれば良い。でも、他人に理解してもらうため、あるいは納得してもらうためには、自分がどういう理由で、何を、どう考えたのかを相手にわかる形で示さなければならない。 他人が自分の思考過程を検証できるように思考を進めていくと、自分の思考過程が可視化される。可視化することにより、一歩引いた視点で、検討範囲に漏れは
かつて庵野秀明は『紅の豚』について「全裸の振りして、お前、パンツ履いてるじゃないか!」「おまけに、立派なパンツ履きやがって!」と評した。その庵野秀明が主演声優として参加した『風立ちぬ』を観たのだが、宮崎駿の最高傑作ではないかと感じた。宮崎駿がパンツを脱いでいるところが良い。パヤオの立派なパンツに隠されていたチンコは、意外にもデカかったのだ。 『風立ちぬ』はとにかくエロい映画だ。「右手がメカで左手は美少女、そして口からは説教」*1が宮崎アニメの特徴であるが、本作のメカニックと美少女はとにかくエロい。単にキスシーンが多くて初夜のときめきが描かれているからとか、飛行シーンが美しいからという理由からだけではない。ヒューマンビートボックスすれすれのとんでもない手法で作られたSEが単なるメカニックである飛行機や自然現象である地震を生き物のように描いているという理由もあるが、どちらのエロさも死と結びつい
JavaScriptでMVCをやってると、「そもそもDOMってモデルだよね」って思うことがあって、いやいやそれは違うんだと言い聞かせているうちに、謎の4コマ完成。 DOMはモデルだよ DOM = Document Object Model という名の通り、DOMはモデルだよ。 これをイベントのたびに更新してやればいいんだ。表示も自動で追随してくれるよ。 重複してるよ でも本来同じものなのに別々に更新してやらないといけない場面が出てきたよ。 これだと片方を更新し忘れたら不整合になるよね。 こんなの絶対おかしいよ。 DOMはビューだよ いやいや、本当はモデルはDOMの外にあるんだ。 これを一箇所更新すればそれぞれに自動で反映されるようにすればいいんだよ。 わぁ、頭いい。 面倒だし一度に更新すればいいんだよ でも大抵データって更新のたびにサーバに保存して欲しいでしょ。 本当のモデルはサーバサイド
負債とは要するに借金のことですが、システム開発においても技術的な借金、つまり「技術的負債」(Technical debt)がある、という表現がしばしば使われます。お金の借金をすると利子を払い続けなければならないのと同じように、技術的負債を抱えると、そのツケを払い続けなければならなくなる、という比喩です。 「技術的負債」という表現は、WikiWikiの発明者で著名なプログラマとして知られるウォード・カニンガム氏が1992年に使ったのが原典とされています。しばしば目にするこの「技術的負債」というのはどういうものなのでしょうか? 調べてみました。 カニンガム氏とファウラー氏による「技術的負債」 カニンガム氏が「技術的負債」という表現をはじめて使ったのは、1992年に行われたACM主催のイベント「OOPSLA '92 」(Object-Oriented Programming, Systems,
不愉快である。宮崎駿最新作、ジブリ映画「風立ちぬ」を見た感想だ。たいへん不愉快な映画だった。 なにやらアニメや漫画も規制対象とする児童ポルノ規制法案に賛同する人が「ジブリのようなアニメだけ作っていればいい」とトンチンカンなことを言ってるのを見たことがあるが、宮崎駿はそもそもが「メカと美少女が大好きなオタク」であることを思い出させられる。 今回の「風立ちぬ」は言ってしまえば「メカのことしか頭にないオタクが少女に受け入れられ許される物語」だからだ。 冒頭から妄想妄想妄想の山。まるでパプリカのようだ。夢といえば聞こえはいいかもしれないが、それモデルとなった堀越二郎じゃなくて宮崎駿本人の夢と妄想じゃないんですか、と言いたくなる。 白い服に白い帽子の病弱なお嬢様との出会いなんて、もう古典すぎるオタクの妄想すぎて見てられたものじゃない。原作陵辱だと言う向きもあるが、もう同意するほかない。よくご遺族は映
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