「失敗は成功の母」は言いすぎではないか、と思うときがあって、その頻度は、僕の加齢にともなって年々増している。せいぜい、失敗のうちいくつかは成功の母になる可能性もあるよ、程度だろう。なぜなら、ほとんどの失敗は、教訓とするにはほど遠い、どうしようもないものだからだ。大きな失敗は繰り返さない僕らが、つまらない失敗ばかり繰り返してしまうのは、それが教訓にもならない反省も忘れてしまうような小さな失敗だからだと思う。 部下から案件の失注連絡を受けた。我が社の営業部も新型コロナ下で絶賛テレワーク中である。にもかかわらず、リーダー格の部下氏は直接会って報告をしたいと申し出てきた。人は大事なことを直で話そうとするのだろう。若かりしとき、付き合っていた女性から突然「もう…会いたくない…」と別れを切り出され「もういちど会って話そう。話せばわかる」とすがりついた黒歴史を思い出す。あの人も母になったと風の噂にきいた