「ジャニーさんがいつ来るんだろうと怯えていました。じゃあ、辞めればいいじゃんという話なんですけど、それが被害なのかどうかが、わからない歳だったから」 こう重い口を開くのは、ジャニーズ事務所のアイドルグループ「忍者」の元メンバー、志賀泰伸氏(54)だ。6人組グループの忍者は、美空ひばりの『お祭りマンボ』をリメイクした『お祭り忍者』で1990年8月にデビュー。4カ月後にはNHK紅白歌合戦に早くも出場した、激しいダンスが売りの、人気グループだった。 デビューしたアイドルから初めての証言 英BBCが番組でジャニー喜多川氏の性加害を取り上げて以降、小誌はこれまで12人の元ジャニーズJr.の男性たちの証言を伝えてきた。だが、実際にデビューまで果たしたジャニーズのアイドルから性被害の証言を得るのは、初めてのことだ。これまでの元ジュニアたちの告白には、「売れなかった腹いせで言っている」などと、心ない意見も
5月14日(日)の夜、ジャニーズ事務所が創業者で前社長の故ジャニー喜多川氏の性加害について、藤島ジュリー景子社長の動画と文書を発表して公式に謝罪した。 それを受けて、これまで沈黙を貫いてきたテレビ各局も、ニュース番組や情報番組で一斉に報道した。では、各番組のキャスターやコメンテーターは、ジャニー喜多川氏の性加害についてどうコメントしていたのだろうか。NHKと民放キー局の番組をチェックした上で、それぞれの報道スタンスを検証したい。 スタジオで「受け」のコメントをしているか ニュースを伝える際に、番組としての“姿勢”を示すことはとても大事だ。重要なニュースになればなるほど、スタジオでキャスターらが視聴者をリードしていくことが求められる。ストレートニュースとして扱い、スタジオで何のコメントもしなければ、それほど重要なニュースではないという視聴者へのメッセージになる。
「辞める記念にジャニーさんの家に行きたい」 20代後半のE氏が事務所に入ったのは中学1年生の時。『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)、『紅白歌合戦』(NHK)にも出演。Hey! Say! JUMPやKAT-TUNのコンサートにも出ていたという。 だが、渋谷のジャニー氏の自宅マンションに行く機会は無かった。「僕はお気に入りではなかったから」とE氏は言う。 「ジャニーさんはオキニを『ユー』と呼ぶけど、僕は呼ばれない。自分はデビューできないだろうと感じていました」(同前) 高校1年生、16歳の時のことだ。「どうせ辞めるから記念にジャニーさんの家に行きたい」と友だちに頼むと、ジャニー氏に電話をしてくれて、了承を得た。 「親に『今日はジャニーさんの家に初めて行くよ!』と電話しました」(同前) 会見で放映されたカウアン氏が撮影したジャニー氏の自宅風景 奥のキングサイズのベッドで寝るよう指示 そ
ムツゴロウ タバコもね、今では女房の方が僕より吸いますよ。僕は原稿を書く時に増えるけど、女房はずっと変わらないから。 純子 結婚してから畑に「これからの女性はタバコくらい吸わなきゃ」と勧められて覚えましたね。それをすぐに受け入れてしまうのが私のダメなところ(笑)。妊娠中は止めていましたが、今は1日1箱半くらい吸いますよ。 タバコは1日1箱半 ©️文藝春秋 撮影・鈴木七絵 「ちょっと女房と遊んでやってください」と雀荘に置いていかれて… ――純子さんは若い頃に結核を患われていますが、肺などは大丈夫なんですか……? 純子 畑は私の結核の再発を心配して「仕事なんてしなくていい」と大事にしてもらったんですが、そういえばタバコは勧められましたね(笑)。 ――他にもムツゴロウさんに影響されたなと思うことはありますか? 純子 畑が楽しそうに麻雀しているのを見ているうちに私もやってみたくなって、自分で覚えて
「ジェルみたいなものをお股に塗られ、機械みたいな物をお股にあてられました。被告人は自分の性器を持ってお股のあいだにいれようとしてきました。私は足などで抵抗しました」 法廷内に響いた被害少女の声は、ビデオリンク方式により別室から配信されたため、表情こそ見えないが確かに震えていた。自身が受けた性暴力の恐怖について訴える少女の声を、白いポロシャツ姿の被告人は前を向き、表情を変えることなく聞いていた。 ※写真はイメージ ©istock 今年3月から大阪地方裁判所某支部で行われている刑事裁判の4回目の公判が6月2日に行われた。町工場社長のヤマモトシュウジ被告(50代、仮名)は「強制わいせつ」と「強制性交」の罪に問われている。この事件の被害者は、ヤマモト被告の愛人の娘で、当時小学生だった女子児童である。
文学者であり翻訳家の父と、児童文学者の母。黒川紀章がデザインした鎌倉の家から小中と清泉女学院に通い、途中で2年ほど父のサバティカルに帯同して英国ロンドンの私立女子校にも通ったが、ルーズソックスを禁止されない「10代を謳歌する確固たる自己イメージ」のために明治学院高校へ。 「周囲の影響もあり」渋谷、ルーズソックス、ブルセラ、援助交際にクラブ通いと、絵に描いたようなコギャルブームを真正面から浴びた作家・鈴木涼美。彼女の知的好奇心と魂のありようを象徴するかのような、ある意味一本の軸となる考えがある。(全2回の2回目/1回目を読む) ◆◆◆ 「先生や母親たちはどうやって夜の世界を否定しているんだろう?」 「否定できないならやっちゃうけどいいの」 鈴木は、彼女らしい甘いトーンに包みながら、これまでの人類が社会的良識と仮置きしてきた倫理秩序を大胆に脅した。 「年齢を重ねて、『なんとなく良くない』という
「これから起きるすべての医療事故が、ミトコンドリア異常症にこじつけられてしまう可能性もあるのではないかと危機感を抱きました。それ以上に、なぜ莉奈が亡くなったのかをはっきりさせたかったですし、明らかに容態が悪かった莉奈を放置し続けた病院の体質を問いたいという思いで、提訴に踏み切りました」 こう語るのは、2010年9月に済生会横浜市東部病院で長女の莉奈ちゃんを失った中島邦彰さん・朋美さん(ともに仮名)夫妻だ。莉奈ちゃんは亡くなる直前に、この病院で肝臓の組織を採取する「肝生検」という検査を受けていた。 警察による司法解剖で判明した死因は「肝生検に起因する出血死」。しかし病院や検査を担当した医師は、莉奈ちゃんの死因は世界でも極めて稀な疾患である「ミトコンドリアDNA枯渇症候群」だと主張。肝生検時の過失によるものではないとして、医療過誤を認めなかった。
2010年9月、神奈川県にある済生会横浜市東部病院で、ひとつの幼い患者の命が失われた。患者の名前は中島莉奈ちゃん。ようやくつかまり立ちができるようになった、まだ生後11カ月を迎えたばかりの女の子だった。 亡くなる直前に莉奈ちゃんは、肝臓の組織を採取する「肝生検」という検査を受けていた。警察による司法解剖の結果、遺族に伝えられた死因は「肝生検に起因する失血死」。しかし病院や検査を担当した医師は、莉奈ちゃんの死因は世界でも極めて症例の少ない「ミトコンドリアDNA枯渇症候群」だと主張。肝生検時の過失によるものではないとして、医療過誤を認めなかった。 「死ぬような検査ではない」と説明されていた肝生検で、なぜ娘は死ななければならなかったのか――。莉奈ちゃんの両親が真相究明を求めて起こした民事裁判では、病院側による杜撰な処置や電子カルテの矛盾が次々と明らかになり、今年3月に両親側の勝訴に近い和解という
「大好きだよ。そう言って彼女はバンダナを手渡し、両手を縛るよう頼みました」 昨年5月、東京都台東区で発生した高校3年の女子生徒(当時17)の殺害事件。嘱託殺人や現住建造物等放火などの罪に問われた同級生の少年(19)は8月29日、東京地裁で開かれた初公判で、殺害直前の状況を裁判員の前で明らかにした。 事件後、女子生徒宅には花が手向けられていた ©共同通信社 法廷に現れた少年は長身の細身で短髪。襟付きの紺色シャツとグレーのスラックス姿だった。少年であることから、証言台に立った時以外は遮蔽措置が取られていた。 起訴状などによると、少年は昨年5月3日夜、同区の女子生徒宅のマンションで、女子生徒に頼まれてバンダナで両手を縛り、腕で首を絞めて殺害。一度現場を離れた後、翌朝に戻ってベランダから侵入し、遺体のあった布団に火を付けるなどしたとされる。 傍聴した社会部記者が話す。 「少年は、起訴事実について『
「週刊文春」に掲載されたライター・田村栄治氏の記事により明るみに出たフォトジャーナリスト・広河隆一氏のセクハラ、パワハラ問題。12月27日、検証委員会の報告書が自身が発行人を務めていた「DAYS JAPAN」のウェブサイトで公開された。報告書は、広河氏による性被害やセクハラ、パワハラが多数あったことを認定。検証委員会に寄せられた証言に基づき、報告書にまとめられたセクハラ被害(2004-2017年)は以下の通り。 ・性交の強要 3人 ・性交には至らない性的身体的接触 2人 ・裸の写真の撮影 4人 ・言葉によるセクシャルハラスメント(性的関係に誘われる等)7人 ・環境型セクシャルハラスメント(AVを社員が見える場所に置く)1人 また、報告書では広河氏のパワハラ行為についても分析している。 広河氏の実像を報じた「週刊文春」の記事を受け、新たに寄せられた女性の告発を報じた2019年2月7日号の記事
非婚や少子化そのものは国家の将来にとっては難題だが、個人の選択する生き方とは別の話だ。恋多き人生を全うした男女もいれば、世を正しく導くため、あるいは社会を作り変えるという使命感とともに単身を貫いた人もいる。 ここでは、評論家・アンソロジストとして数々の著書を執筆する長山靖生氏の著書『独身偉人伝』(新潮新書)の一部を抜粋。恋多き人生でありながら、生涯独身だったファッション・デザイナー、ココ・シャネルの生涯を振り返る。(全2回の1回目/後編を読む) ◆◆◆ ハーレクイン・ロマンス以上の恋の数々 恋多く独身だった人は女性にもいます。今も女性たちを魅了しているブランドを創始したファッション・デザイナーのココ・シャネルは、生涯に幾人もの恋人を持ちましたが、お相手の人品や容姿のよさは抜群で、さすがに美的センスが発揮されている感がありました。その恋の数々は、ハーレクイン・ロマンス以上にロマンチックで、特
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