世界的な株安の連鎖が止まらない。日経平均株価は25日、2万円の大台を割り込んだまま終えた。景気の先行きを懸念する投資家が増える一方で、米欧の中央銀行は金融引き締め路線を進んでおり、市場の動揺が深ま…続き[NEW] 「複合株安」市場戸惑い 日経平均のPBRは1倍割れ [有料会員限定] 日本株「売られすぎ」サイン相次ぐ
1 安倍政治の現状評価 安倍政権が発足して三か月の間に、教育基本法が改正され、防衛庁が防衛省になった。これらの政策転換を推し進めた人々にまともな論理があったわけでもなく、国会で十分な議論が尽くされたわけでもないにもかかわらず、「戦後レジームからの脱却」はあっという間に動き出してしまった。このままでは、二〇〇六年は戦後民主主義が終わった年として後世の人々に記憶されることになるのかもしれない。そうさせないために私たちは何をすればよいのか、考えてみたい。 安倍政治を見て感じるのは、軽さと猛々しさの組み合わせへの当惑である。戦後民主主義への復讐心を顕わにした政治家は今までにもいたが、岸信介や中曽根康弘には粘着性を感じた。しかし、今の安倍政権を構成しているのはまさに、政界の「恐るべき子供たち」であり、内閣は学生の同好会の雰囲気である。政権発足早々、政府税調会長や行革担当大臣が醜聞で辞任した。さらに数
アドルフ・ヒトラーと並ぶ独裁者として知られるヨシフ・スターリンは過酷な抑圧政策で知られますが、その中で印象操作のためにさまざまな写真の改ざんが行われました。一部、改ざんなのか疑われているものもありますがまとめて紹介します。 詳細は以下の通り。 NEWSEUM: The Commissar Vanishes 1919年の革命記念日に赤の広場で撮られた写真。中央左の人物がレーニン、その右にトロツキー。 トロツキーをはじめ、数人が跡形もなく消されている。 プラウダを読むトロツキー。 1925年にトロツキーは失脚、写真の顔の部分がつぶされた。 1920年、ボリショイ劇場前でのレーニンらの演説を写した有名な写真。ちょうどレーニンが演説中で、トロツキーとカーメネフが階段のところで演説の順番を待っている。 階段からトロツキーとカーメネフの姿が消えている。 この写真は時間差があって、その間にトロツキーとカ
噂の赤木智弘『「丸山眞男」をひっぱたきたい』とその応答(論座4月号)を読んだ。 http://d.hatena.ne.jp/yasudayasuhiro/20070304で ブサヨ人々はかつて「『丸山眞男』をひっぱたきたい」と言っていたわけだから。「『丸山眞男』をひっぱたきたい」と主張することは、かつての若者であり現在の抑圧者を慰安するだけではないか。若者らしい若者がでてきて、かつての若者はその姿に過去の自分を投影し、悦に浸っているだけではないか とデタラメに言ってみたのだが、ブサヨクどもは全くそのような歴史を忘れていた。 私の感想は全てhttp://d.hatena.ne.jp/inumash/20070307/p1に言い当てられたような気がするので、特に何もない。いや、少しだけ書いてみよう。 赤木智弘は自身を触媒として、世代と時代を語ろうとしているように思えた。要はこうだ「不況下にサヨ
「機会の平等」の正当性について若干の考察。いま、少なくともマスコミのレベルでは「機会の平等」を疑う言説はまったく出てこない。私も機会の平等という原理がまったくの間違いだと考えているわけではないが、その問題点があまりに語られなさ過ぎる現状は、あまりに異常で危険であると思う。 (1)目標が共有できない 今の格差問題を解決するスローガンとして、「スタートラインを同じにする」という「機会の平等」原則が常套句として語られる。しかし、「スタートラインを同じにする」という言葉が意味をもつのは、スタートラインに立つ人々に同じ「ゴール」が共有されている限りである。今の日本社会では、これは不可能である。「そんなことはない、ゴールは人それぞれ多様であってもいい」という反論もあるかもしれない。しかし、そうだとしても「同じスタートラインに立つ」という意味が、一体何なのかがわからなくなる。そもそも、いわゆる「ひきこも
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