「あなたはなぜ戦えるの、守るべき人もないというのに!」 とかララァ・スンが言ったりすると、守るべきものは自分だよオラ、自分を守るために闘っちゃいけないのかよオラ、とか言いたくなる。別にララァに限らないのだが、戦闘アニメ・特撮の主題歌にはなんでああ「君を守るために」とかいうセリフが多いのであろうか。自分のため、じゃいかんのかい。 - 上林暁は私小説作家である。1980年、私が高校三年の時に死んだ。手帖に「上林暁死去」と書いておいたら、見た同級生が「誰?」と言ったのを覚えている。 没後発見された「Y・Y氏」に関する原稿が、全集19巻に入っている。これは山本有三が死んだ時に書かれたものらしく、全編イニシャルであるが、誰かはすぐ分かる。恨み骨髄に徹しているというので、何せ、久米正雄を陥れる贋手紙を書いた偽善者山本有三であるから、さてさて何をされたのか、と思って興味津々で読んでいき、拍子抜けした。
大学3年くらいだったと記憶しているので、今から30年前、80年代冒頭の話。 芸大の彫刻科は3年から素材によってコースが分かれており、私は金属を選択していた。そして、現代美術の底抜けの泥沼に足を踏み入れかけていた。 もちろんその時は泥沼などとは思わず、現代美術こそが新しい価値を創造するのだと信じていた。 当時、金属室の先輩たちの作品は、石や木を彫っている人たちの作品より「新しく」「刺激的」に見えたから、金属室は私にとって面白く居心地のいい場所だった。 学期の最後だったか先輩たちと飲みに行って、私と数人が助手の人の家に泊まった。朝、二日酔いの寝ぼけ眼で起きてくると、皆がテレビを見ていた。ヴァイオリン少女のドキュメンタリー。まだ子どもなのに凄いテクニックだ。お母さんがつきっきりで教えている。 「ステージママだな」 「子どもの時からあれじゃあ大変だよなぁ」 「きっとバイオリン以外何にもしてないんだ
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